
「惚れたら、女はからだごと惚れるのよ」天才詩人を捨てて他の男に走るも、まさかの展開が待っていて…
中也を捨てて小林のもとへ走ったが…
『ゆきてかへらぬ』©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会 【配給】 キノフィルムズ TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
彼女は中也を捨てて、小林のもとに走ります。「惚れたら、女はからだごと惚れるのよ」と呟き、小林に飛び込んでいった泰子でしたが、少しずつ繊細な言動が見られ始めた泰子を置いて、小林は奈良へと「逃げ」ます。こうしてこの三角関係は終焉を迎えるわけです。
映画の中で、小林は、泰子は「僕と中原中也という2つのつっかい棒がないとやっていけない存在なのだ」というようなことを口にしていましたが…。
こういう時に文学的なことを持ち出して崇高そうなことを言う小林よ!!
あのね、結局重くなっただけなんじゃないの?なんて私は感じてしまいましたけどね。
もしかしたら、「中原中也の恋人」としての泰子の存在が眩しく映ったのみで、家の中で黙って自分のことだけを待ち続ける泰子には魅力を感じられなくなったのが本当のところなんじゃないの?!なんて私は見ちゃいましたけどね。
とにかく、泰子はだれかの「創造の女神」に祭り上げられるのは不本意だったのではないかと感じました。泰子にとっては、「なんとなく一緒にいる男」の友達として現れた男がとても魅力的で、その彼と両思いだということがわかったから、好きな男のほうに走った、と言う非常にシンプルな恋愛をしていただけだったのではないか、と。
その男2人が、たまたま中原中也と小林秀雄だったということに過ぎなかったのでは、と思うのです。
恋愛に文学が絡むと途端に!?
明治大正昭和と、文化人にまつわる恋愛事件は文学や文化の源泉のような形で、神聖視されたり伝説視されたりすることもありますが、実はよくよく考えてみれば、誰かと誰かが恋をして、そしてそれによって誰かが傷ついた、もしくは誰かが幸せになったという非常に単純な構造だったということではないかと思うのです。
恋愛は崇高なものに見えて、実は本当にシンプルなもの。ただ「この人と一緒にいたい」「この人に会いたい」その気持ちに全てが凝縮されるものであるはずなのですが、そこに文学だのが絡んでくると急に面倒なものになる不思議。
あなたは泰子の恋をどう見ますか?
©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
ゆきてかへらぬ
TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
【配給】 キノフィルムズ
監督:根岸吉太郎 脚本:田中陽造
出演:広瀬すず、木戸大聖、岡田将生ほか
公式X(旧Twitter):https://x.com/yk_movie2025
公式Instagram:https://www.instagram.com/yukitekaheranu_movie/
公式TikTok:https://www.tiktok.com/@yukitekaheranu_movie
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Profile
元TBSアナウンサー(小林悠名義)1985年、北海道生まれ。お茶の水女子大学大学院ジェンダー日本美術史修士。2010年、TBSに入社。情報番組『朝ズバッ!』、『報道特集』、『たまむすび』等担当。2016年退社後、現在は故郷札幌を拠点に、MC、TVコメンテーター、タレントとして活動中。文筆業にも力を入れている。ポッドキャスト/YouTube『アンヌ遙香の喫茶ナタリー』を配信中。仏像と犬を愛す。インスタグラム:@aromatherapyanne[/hidefeed]
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