「本多式」なら誰でも自然に貯まる!蓄財の神のとってもシンプルな教え
本多静六(1866-1952)という人物を知っていますか。
本多静六は、明治から昭和にかけて活躍した林学博士で、東京の明治神宮や日比谷公園など多くの公園を設計しました。同時に、蓄財でも知る人ぞ知る有名人。
今回は、蓄財の神とも称される本多静六の教えをお伝えします。
本多静六は林学博士でもあり、投資家でもあり
本多静六は、埼玉県生まれ。極貧の子ども時代を経て、東京山林学校に入学し、一度は落第し自殺未遂をしますが、その後猛勉強をして主席で卒業をします。
ドイツに留学後は、東京農科大学(のちの東京大学農学部)の助教授となり、独自の蓄財法で40代にして莫大な財産を築きました。今の価値なら100億円相当。
その蓄財方法は著書にもなっていますが、現代においてもなお通用する内容です。その教えはいたってシンプル。誰にでもできる倹約と分散投資が主軸です。
本多式「四分の一天引き貯金法」
本多静六は25歳で東京大学農学部の助教授になりました。給料は入りましたが、家族9人をかかえ生活は決して楽ではありません。
これではいつまでたっても貧乏から抜けられないと思った本多静六は、一つの決心をします。
それが、本多式「四分の一天引き貯金法」の実践です。
苦しい思いで普通の暮らしをして、少しでもお金が残ったらと望みをかけても貧乏は脱出できない。そこで、貧乏に強いられてやむを得ず生活を切り詰めるのではなく、積極的に倹約、貯蓄をして逆に貧乏を圧倒しなければ、と考えました。
そこで、収入があったら、容赦なくその四分の一をまずは貯金する。そして、あまりの四分の三で生活をすることを実行に移しました。
本多式「四分の一天引き貯金法」では、定期収入からは四分の一、臨時収入は全額を貯金します。
貯金=(定期収入×1/4)+(臨時収入×10/10)
定期収入は月々のお給料、臨時収入はボーナスだと考えると、今の時代でも十分使える方法です。
当然、生活は苦しくなるのですが、一番の敵は「虚栄心」だそうです。今までのしきたりや習慣にとらわれることなく、見栄を張らずにいれば、誰にでも四分の一天引き生活はできる、ということです。
四分の一、とはずいぶん思い切った数字だと、正直なところ思います。本多博士は誰にでもできると言いますが、やはりお付き合いもあるし、欲しいものもあるし。
しかし、天引き貯金法は理にかなっています。お金はあると使いたくなるのが人情。はじめからないものとして天引きをしてしまえば、貯蓄は必ずできるものです。
貯金で作った資金は投資へ
こうして作った貯金で、本多静六は株と不動産に投資を始めました。
株は日本鉄道が最初の銘柄。鉄道事業は当時国策で、買ってからまもなく2.5倍になりました。その後は、ガス、電気、製紙などなど、30種以上の業種から優良株を選んで分散投資を続けました。
また、秩父の山林も買いました。これは本多博士の専門分野。天然美林でしたが交通の便が悪く、開発もされていなかったため非常に安値でしたが、本多静六はこの山林がこのまま朽ち果てることはないと考えたのです。
実際、その後木材が値上りし、山林から多くの利益が生まれました。
投資の基本は分散投資。そして、投資先は自分が分かるもの。やみくもに投資をしても、成功はしないということですね。
株式投資のルールは「二割利食い、十割益半分手放し」
株式投資は、安い時に買って、高い時に売ることで利益を生みます。しかし、この売り買いのタイミングが難しいものです。もう少し安くなるのではないか、と思って待っていると値上がりが続き買い時を逃してしまったり、逆にもっと高くなってから売ろうと思っていると、値下がりして売ろうにも売れなくなってしまったり。
本多静六は、慾を出しすぎて失敗をしないよう、株取引にルールを作り実行しました。
「二割利食い」というのは、株が元金から値上がりして二割の利益が出たら、それ以上欲張らずきっぱり売ること。
また、株は急激に値上がりすることがありますが、元金の倍額になったら手持ちの半分を必ず売ります。これが「十割益半分手放し」。半分は現金化して取り戻すので、あとの株はまったくのタダ。タダの株なら仮に暴落しても損にはならないという考え方です。
投資の敵は自分の慾でもあります。本多静六は、貯金と投資のルールを作り、実行したことで、莫大な資産を作ったのです。
そして、このルールは誰にでもできると言っています。つまり、特別な才能はいらない方法であるというわけです。あとは実行するかどうかだけ。
本多静六は、このように作った資産をどのように使うかについても考えをめぐらせました。そして、匿名で教育や公共機関に寄付をしたのです。人間の本当の幸せとは、と考えた結果のことでした。
ファイナンシャルプランナー(AFP)。36歳で離婚し、シングルマザーに。大手生命保険会社に就職をしたが、その後、保険の総合代理店に転職。保険の電話相談業務に従事。43歳の時に乳がんを告知される。治療を経て、現在は治療とお金の相談パートナーとして、相談、執筆業務を中心に活動中。FP Cafe登録FPパートナー