「こんなママでもいいの?」進行性の難病を抱えながら、2人の子どもを育てる女性がたどり着いた結論とは
こんなママでもいいの?
母としての悩みは、病気がわかったときから、ずっと心の大部分を占めています。
子どもたちにごはんを作れないこと。手をつないで歩くという、当たり前だったこともできないこと。小さなリンにいろいろとお願いをしてしまっていることや、タカラの運動服すら洗濯してあげられなくなったこと。
前を向いているつもりでも、まったく苦しくないと言えば嘘になります。いまも「こんな母でいいのだろうか」という問いが、何度も浮かぶのです。
病気がわかってまもなく、4歳下の妹のみっちゃんがわたしを支えるために、近所へ引っ越してきてくれました。
ちょうど妹の息子の陽向(ひなた)が中学校に上がるタイミングだったこともあり、愛知で長年続けてきた美容師の仕事を辞め、「福岡へ行く」と決断してくれたのです。そうまでして助けに来てくれたことに対して、感謝という言葉ではとても足りません。そんな妹はいつもこう言ってくれます。
「わたしは、お姉ちゃんの近くに来れてよかったよ」
いまでは、不自由が増えたわたしの代わりに、子どもたちの面倒まで見てくれています。とてもありがたいですが、その姿を見ていると、若くて元気な妹の時間をわたしの世話に使わせてしまっている、という申し訳なさで胸がいっぱいになることがあります。
母としても、姉としても、ずっと「してあげる側」でいたかったのだと思います。ところがいまは、「してもらう側」になっていっているという現実があります。それを実感するたびに、情けなさや悔しさが静かにこみ上げるのです。
それでも、最近はこんなふうに考えるようになりました。
──子どもたちは、いまのわたしの姿を見て育っていくのだ、と。
一緒に走ってあげることはもうできないし、台所に立ってごはんを作ることもできません。でもその代わりに、温かで優しい人たちに助けてもらいながら目標を叶えていく背中や、病気と闘いながらもできる限り笑顔でいようとする姿を、子どもたちに見せていきたい。見せていける気がしています。
「こんなママでいいのだろうか」と悩む日がなくなることは無いと思います。でも、どんな姿になっても、わたしが子どもたちを深く愛し、心から大切に思い続けていること──その気持ちは変わりません。
この思いをいちばんに抱けていることが、いまのわたしにとっては大きな幸せです。
「家族においしいごはんを作ってあげたい、それがわたしの生きる力」
頼っていいんだ
わたしは4姉弟の長女です。小さい頃からしっかり者と言われ続け、妹たちはもちろん、友達までお世話するのが当たり前でした。誰かに頼るより、誰かを支える方が性(しょう)に合っていたのです。そんなわたしがお世話をしてもらう側になってしまい、打ちひしがれていました。
そんなとき、わたしの価値観をガラッと変えてくれたのは、同じように車椅子で生活している先輩との出会いでした。
知人に紹介してもらって会いに行ったとき、その方はこうおっしゃったのです。
「みんなね、本当に優しいよ。知っている人も知らない人も、『助けてください』って言ったら、ちゃんと助けてくれるよ。困ったら、まず頼ってみたらいい」
その言葉を聞いたとき、はじめて「頼ることは迷惑じゃないんだ」と思えるようになりました。
それから少しずつ、「こうしたい」という思いを外に伝えるようにしたのです。特定の誰かだけに負担をかけるのではなく、「いまこんな状況です」「こんなサポートが必要です」とオープンに伝えるようにしました。
すると、「手伝わせてよ」「何かできることある?」と声をかけてくれる友人が、思ってもみないほどにたくさんいました。長く連絡を取っていなかった友人からも、「頼ってくれて嬉しい」とメッセージが届きました。
そうか、わたしだって、誰かに頼られたら張り切って助けにいくもんね──
そう気づいてから、「してもらうこと」を、前より素直に受け取れるようになりました。
いま、わたしの喫茶店は閉めているのですが、時々友人たちが集まってくれる憩いの場所になりました。わたしのレシピを再現して料理を作ってくれたり、たわいもないおしゃべりをしながら、美味しいものを味わったり。
「まさこさんと一緒だと楽しいね」と言ってくれる、かけがえのない友人たちです。みんなと過ごしていると、「なんてありがたいんだろう」「なんて幸せなんだろう」と、胸の奥から込み上げてくるものがあります。
病気になって、できなくなったことはたくさんあります。でも同時に、「頼っていいんだ」とわかったことで、大切な人とのつながりはむしろ増えたのかもしれません。
夫は「ぼくはまさこさんが病気を治すと思ってる」と言ってくれています。妹は「福岡はいいところよね」と前向きです。友人たちは「いつでも頼ってよ」と声をかけてくれます。
その全てに支えられて、わたしはALSというやっかいな相手と付き合っていけています。
「どう生きたらいい?」という悩みは、少しずつ「わたしはこう生きたい」に変わってきました。「何もできない」より「次はなにしよう」のほうがワクワクする。わたしは、不自由さも全部ひっくるめて、みんなと笑い合えるいまに感謝して生きていくのです。
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■著者略歴: はらだまさこ(ハラダマサコ)
1981年、喫茶店文化の街・愛知県豊橋市に生まれる。カフェオーナーの賢介さんと結婚後、出産を機に、家族で日本と海外を行き来する「暮らすように旅する」生活を送る。各地で出会った料理と食文化に影響を受け、2018年、福岡にオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープン。2021年、長女を出産後、足に違和感を覚え、2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。失意のなか、自然治癒の症例があることを知り、わずかな希望に光を見いだして生きることを決意。子どもたちに自分の味と記憶を残したいと、不自由な手でレシピを書き始める。2025年7月より、〈天然生活ウェブ〉にて連載を開始。
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