秀吉に人質に出された万丸は、大人になって叔父から「ひどい仕打ち」を受け……。万丸だけではない、家族から非常な扱いを受けた戦国時代の男たち【NHK大河『豊臣兄弟!』16話】
幼少期に人質として過ごした家康、信長に処刑されかけた松寿丸
戦国時代というと、男性は戦場で戦い、女性は人質や妻として政略結婚に利用されるというイメージを抱いている人は多いと思います。けれども、人質に出されたのは女性だけではありませんでした。
例えば、徳川家康は竹千代と名乗っていた6歳の頃に、今川義元のもとに人質に出されています。家康の父・松平広忠は義元に援軍の見返りとして、我が息子を人質に出したのです。
しかし、駿河(するが)の駿府(すんぷ)に向かう途中、戸田康光が家康を渥美半島(あつみはんとう)の田原で略奪しました。そして、康光は織田信秀に家康を引き渡したのです。
信秀の“お前の息子はおれのところにいるぞ。息子が心配なら従え”という脅しに対し、広忠は“子の愛におぼれて不義の振る舞いはせん。愚息の存亡はあなたしだいじゃ”と強気な姿勢だったといいます。戦国時代、広忠の判断は親として一般的だったとはいえ、家康の胸中を察すると切なくなります。
また、天才軍師・黒田官兵衛の息子・長政は松寿丸(しょうじゅまる)と名乗っていた10歳の頃に、人質に出されました。
織田信長が播磨諸侯に人質の提出を命じた際、第一候補者は小寺政職の嫡子・氏職(うじもと)でした。しかし、彼は病弱であったため、松寿丸が人質に選ばれたのです。
松寿丸は信長のもとに当初送られましたが、秀吉とおねのもとに落ち着き、おねからは我が子同然の深い愛情を注がれて育ちました。
松寿丸は豊臣家でそれなりに満たされた日々を送っていたようですが、信長は官兵衛の離反を疑ったとき(*1)、秀吉に松寿丸を処刑するよう命じました。
松寿丸の命を救ったのが、竹中半兵衛。半兵衛は松寿丸を匿い、信長には処刑したと虚偽の報告をしました。
官兵衛がこの事実を知ったときには、半兵衛はすでにこの世を去っていました。それゆえ、官兵衛は半兵衛にお礼を直接伝えることができなかったのです。
松寿丸は秀吉とおねのもとで平穏な日々を送っていたように、人質は牢屋に閉じ込められたり、尊厳を踏みにじるような扱いを受けたりするわけではありません。しかし、両者の関係がこじれれば、人質は処刑の対象になり得ます。しかも、処刑は“見せしめ”の目的もあるため、“いかに苦しめ、時間をかけて殺すか”が重視されていました。これが戦国時代の人質制度の恐ろしいところです。
本記事では、人質に出された万丸のその後の歩みと、戦国時代に人質に出された男性の人生についてお伝えしました。
▶▶“守る側”として生きる「侍」の覚悟。ともの息子・万丸が人質として多くの命を守る道へ。「自分たちだけが助かればいい」――そんな考えは許されない生き方とは【NHK大河『豊臣兄弟!』16話】
では、第16話をふりかえりながら、万丸が人質にだされた背景と小一郎、藤吉郎、弥助の「侍」としての覚悟をお届けします。
脚注
*1 官兵衛は信長に謀反を起こした荒木村重を説得するため、有岡城に赴くが、1年以上にわたって幽閉された。信長はこの期間における官兵衛の動向をつかめず、官兵衛に裏切られたと誤解した。
<参考資料>
昭文社(編集)小和田哲男(監修)『地図でスッと頭に入る豊臣一族の戦国時代’25』昭文社、2025年
河合敦『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』朝日新聞出版、2025年
河合敦『徳川家康と9つの危機』 PHP研究所、2022年
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