「死に目に会えないのは不幸」という呪い。罪悪感から母の蘇生を求めた娘たちが救われた、医師の意外な言葉

2026.05.15 LIFE

大切な人の最期をきちんと見届けられるだろうか──そんな不安が胸の奥でひそかに膨らんでいくことはありませんか。

仕事や介護の事情でそばにいられない時間があると、「もしその瞬間に立ち会えなかったら」と自分を責めてしまう人もいます。最期の場面だけを強く意識するあまり、本当は大切にできていた時間までも不安にかき消されてしまうことがあります。

3000人のお看取りに寄り添ってきた、たんぽぽクリニックの永井康徳医師は、最期の瞬間は必ずしもみていなくていい 」と語ります。本記事では、永井医師の著書から「死に目に会うよりも大切なこと」をお届けします。

※本記事は書籍『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(永井康徳:著/主婦の友社)から一部抜粋・編集したものです

 

最期の瞬間は必ずしもみていなくていい

今はどうか知りませんが、私が子どもの頃には「夜に爪を切ると親の死に目に会えない(不幸で縁起が悪い)からやめておきなさい」と、祖母などの年配者から注意されたものです。

日本では「大切な人の死に目に会えないことは不幸」だと思い込んでいる人が多いように感じます。親の死に目に会えないのは、それほど不幸なことでしょうか。私はそうは思いません。逆にこの思い込みが患者さんや家族への負担になり、不幸にしているように感じています。

 

死に目に会えないことは不幸ではない

看取りが近くなってきた患者さんの家族から、「死に目に会えないかもしれないから、点滴をしてください」とお願いいされることが少なからずあります。

それまで患者本人が希望して、家族も納得して、点滴をしないで自然にみていたにもかかわらず、仕事などでずっとそばについていることができない、事情があってずっとはみられないからと、点滴を希望されるのです。

せっかくこれまで患者さんの希望に沿ってきたのに、最期の瞬間に点滴を希望されて驚いたことは、数え切れないほどあります。もちろん、そのつど、家族と真摯に向き合い、不安を取り除いて、納得していただければ点滴をしないまま看取りを続けることになります。

しかし、家族がどうしてもと希望された場合には点滴をする選択になります。看取りが近い状態での点滴は患者さんの体にとって負担になり、しんどい思いをさせてしまうことになります。楽に逝けるためには点滴はできるだけ避けたいですし、よりよい看取りのために、「死に目に会えなくてもいい」という意識がもっと広がってほしいと願ってやみません。

 

点滴をしても最期の瞬間に立ち会えないこともある

点滴をしたからといって、最期の瞬間に必ず立ち会えるかというと、そうでもありません。亡くなるまで点滴をする病院での看取りでも、最期の瞬間に誰もそばにいなかったということは多いものです。

それまで懸命に介護を続けていて、少し目を離したときに亡くなることはあります。でも、それは「不幸」ではないと私は考えます。亡くなるときに大切なのは、その瞬間に一緒にいること、見守ることではなく、本人がそれまで穏やかに過ごせていること、楽に逝けることだと考えているからです。

こうした信念があるので、私は、看取りが近くなってきた患者さんの家族に「亡くなるときに大切なのは、その瞬間に立ち会うことではなく、患者さんが楽に逝けたかということですよ」とお伝えするようにしています。

そうすると、多くの家族が安心されます。家族も不安から何かできることはないかと考えるのでしょう。一緒に住んでいたとしてもその瞬間に立ち会えないことはあります。

もし遠方に住んでいたとしても、それまで十分に寄り添えていたら、離れたところから祈り、想うことで十分に伝わる、そう思います。大事なのは、楽に過ごせていたか、穏やかに旅立てたかです。

 

介護できないから最期の瞬間に駆けつけたい

高齢で寝たきりのお母さんを介護している姉妹は、介護は24時間の家政婦さんにお願いして、たんぽぽクリニックの在宅医療を受けていました。訪問診療を開始してからは、定期的に人生会議を行い、看取りが近づいても入院せず、自宅で自然にみると決めていたのです。

ある訪問診療の日に、主治医は患者さんに無呼吸が頻発していることに気づき「呼吸をしない時間が長引いているようです。呼吸が止まったときにどうされますか?」と伺いました。

「そのまま自然に看取る」という話になるだろうと思っていたのですが、「自分たちがいないときに亡くなるのはかわいそうだから、マウスツーマウスの人工呼吸をしてほしい」と、蘇生を希望されたのです。

老衰で亡くなる状態で蘇生を試みることの意味や、患者さん本人はそれを望んでいるのだろうかといった話をしましたが、娘さんたちは納得されませんでした。ここまでは私以外の医師が担当していたのですが、この話を聞いて、私が伺ってお話をすることになりました。

自宅での自然な看取りを希望しているにもかかわらず、なぜ人工呼吸を希望されるのだろうと疑問に思いながら訪問診療に伺い、「息を引きとる瞬間をみていなくてもいいんです。いちばん大切なのは、お母さんが楽に逝けることです。病院や施設でも、実は最期の瞬間はみていないことが多いんです」とお伝えしました。

すると、娘さん二人は大きな息をつき、胸をなでおろすようにして「そうなんですね。先生のお話を聞いて肩の荷がおりました」と言ったのです。

実は、娘さんたちは、介護を家政婦さんにまかせていたことを、本心では申しわけなく思っていたようです。いつもそばにいないので、死の間際に立ち会えない可能性が高く、そのことに罪悪感を感じていて「亡くなるその時を少しでも延ばそう」「自分たちが駆けつける可能性を高めよう」と考えていたようです。

お母さんは十分な医療と介護を受け、楽に過ごしていること、最期の瞬間をみる必要はないこと、楽に逝けることが大事であることをお伝えして、人工呼吸はしないことになりました。

最期の瞬間に立ち会うことよりも、できるだけ自然に、苦しまずに天寿をまっとうすることが大切であることを、もっとたくさんの人に知っていただきたいです。

 

ここまでの記事では、「看取り」についての考え方をご紹介しました。続く関連記事では、「大事な人の死を乗り越えるために大切なこと」を解説します。
つづき>>「ずっと生きていてほしい」90歳の母の死に直面した娘の選択とパニック。後悔しない最期のために必要な「準備」とは?【3000人を看取った医師が解説】

 

著者略歴: 永井康徳(ナガイヤスノリ)
医療法人ゆうの森 たんぽぽクリニック 医師 。愛媛県の僻地診療所勤務の後、2000年に愛媛県松山市で、四国で初めての在宅医療専門のたんぽぽクリニックを開業。「理念」と「システム」と「人材」のすべてを高いレベルで維持して在宅医療の質を高めることをめざし、現在は常勤医10人、職員100人の多職種チームで在宅医療を主体に、有床診療所、外来の運営も行っている。平成22年には市町村合併の余波で廃止となった人口約1200人の町の国保へき地診療所を民営化し、開設4ヶ月で黒字化を達成。そのへき地医療への取り組みは平成28年に第1回日本サービス大賞地方創生大臣賞を受賞。全国各地での講演を行い、「全国在宅医療テスト」や「今すぐ役立つ在宅医療未来道場(通称いまみら)」「流石カフェ」など在宅医療の普及のための様々な取り組みを行っている。YouTubeの「たんぽぽ先生の在宅医療チャンネル」も大好評。

 

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