子どもは「家を発展させる道具」だった?戦国時代の武士の子が受けた教育と、今も変わらない遊び
戦国時代の子どもは多忙、かつ幼い頃から自身の役割を意識していた
現代であれば、子どもを希望する人の多くが“あたたかい家庭”や“にぎやかな家族団らん”を思い描いていると思います。また、自分自身の遺伝子を残し、我が家を次世代につなげたいと考える人も多いです。
もちろん、時代を問わず、多くの親が我が子を深く愛し、自分以上に大切に思う気持ちはあります。それでも、一昔前までは、子どもが“労働力”や“家の発展のための道具”としてみなされていたのも事実です。
戦国時代においても、子どもには重要な役割がありました。長子相続の制度は完全に確立していなかったものの、長男が家を継ぐのが一般的でした。長男は家の跡継ぎとして大切に育てられ、寺で武士としての教養を学ぶ機会を与えられることもありました。
次男と三男も跡継ぎの候補として大事にされ、長男が急逝した場合は次男が、次男も亡くなった場合は三男が家を継いでいました。親は次男と三男を“保険”として位置づけていたのです。子どもの死亡率が高かった時代とはいえ、四男以降は家の跡継ぎとみなされることはあまりなく、子どもがいない家に養子に出されたり、嫡子の家臣になったりすることが一般的でした。
現代の親であれば、“我が子を親族といえども他人に預けるなんてありえない!”と涙を流すかもしれませんが、当時は血縁関係を超えた養子縁組はごく普通のことでした。例えば、豊臣秀吉の妻・おねの甥である小早川秀秋(羽柴秀俊)は、秀吉の養子を経て、子に恵まれなかった小早川隆景(毛利元就の三男)の養子になりました。秀秋は秀吉の跡継ぎと目されていましたが、秀吉が57歳のときに茶々との間に第二子・秀頼を授かると、秀秋は放り出されました。
また、本放送回では、前田利家(大東駿介)とまつ(菅井友香)が、実子がいない藤吉郎(池松壮亮)と寧々(浜辺美波)に我が娘・豪姫を授けたというエピソードが挿入されていました。史実においても、豪姫は幼少時に豊臣家へ養子に出されました。前田利家と豊臣秀吉、まつとねねは住居も近く、非常に親しく、互いに深く信頼し合う関係にありました。豪姫は2歳で豊臣家の養女となりましたが、秀吉とおねから深い愛情を注がれました。秀吉は「この子が男だったら跡継ぎにした」と残念がっていたとも伝えられています。
現代の感覚でいうと、利家とまつは同じ社宅に住む職場の親しい同僚に、我が子を養子に出したようなものです。自分のきょうだいに子を預けるのは理解できますが、利家とまつの決断には少しおどろかされますよね。ちなみに、前田家は織田家臣として豊臣家との関係強化を図るねらいもあって、豪姫を豊臣家に養子に出しました。利家とまつの決断は当時としては珍しいものではありませんでした。
◆武士の子供の遊び、教育事情
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