もしも海外でがん宣告を受けたら?留学中の女性の顛末は…【更年期#46】
閉経の前後5年を一般に、更年期と呼びます。日本人の閉経の平均年齢は50歳なので、45~55歳の世代は更年期に当たる人が多いもの。身体の不調に苦しみ「更年期障害」の状態に至る人もいます。
私ってもう更年期なの? みんなはどうなの?
オトナサローネは同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています。(ご本人の年齢や各種の数値は取材時点のものです)
【100人の更年期#46前編】
プロフィール
Nさん 59歳。ジュエリーデザイナー。大手百貨店の宝飾店に勤務したのち独立。単身渡米しジュエリーのデザインを学ぶ。帰国後フリーランスのジュエリーデザイナーとして企業や個人の宝石選びからデザインまで担っている。
私って、居場所がないな…。42歳、迷って迷って海外留学を決意
42歳の時、思い切って会社を辞めてニューヨークに留学することにしました、そう話し始めたNさん。
「私は長い間、宝飾品を扱う会社に勤めていました。美しいものをお客さんにお勧めすると喜ばれる仕事が大好き! 我ながら当時はイキイキ働いていたなと思います」
でも、40代に入ってすぐ、突然のバックヤード業務への異動を指示されました。
「とにかく接客が大好き。お客様がどうすれば輝くかを一生懸命考えてアクセサリーを選び、喜んでもらうことがやりがいでした。もちろん、バックヤードだって大切な仕事ですが、私はどうしても人の顔が見えない仕事に耐えられなかったんです」
40歳を過ぎてからのキャリア変更は本当に勇気が必要でしたが、流れをリセットしたい気持ちが勝ちました。悩んだ末に、これが人生で最後のチャンスだと踏ん切りをつけて、憧れだったニューヨークのデザイン学校に入学しました。
45歳、がん治療で「擬似更年期」が始まったけれど…
もともと大好きな分野ですから、留学は順調。友人にも恵まれ、はじめての海外生活を満喫していました。ところが突如暗雲が立ち込めます。滞在2年目、健康診断で見つかった子宮筋腫を詳しく調べたところ、子宮ガンという診断結果に。
「普通なら、子宮ガンだなんて、ショックで身体がバラバラになるような告知ですよね。でも、実は私は割と冷静でした。母と6歳上の姉が子宮ガンだったので。自分もきっとなるなと、覚悟ができていたんですね」
ただ、一人きりの海外生活でのガン治療にはさすがに少し心細くなったのを覚えているそうです。
「それでも、窮屈な日本に帰国しようとは思いませんでした。そのくらい、旅立つ前の私は日本に居場所がないと感じたんですね」
今から15年前の当時、アメリカのガン治療には3つの種類がありました。
1つ目は強い抗がん剤を使って早く治す方法。2つ目はマイルドな抗がん剤でゆっくり治す方法。3つ目は一番時間がかかりますが、日常生活を送りながら治療するホルモン療法。
「ドクターはこの3つを提示するだけで、患者が選べるんですよ。
私はニョーヨークでデザインを学ぶことを諦めたくなくて、3つ目のホルモン療法を選びました。手術後の1年間の治療は毎月通院してお腹に注射を打つという方法です。
結局ホルモン治療って女性ホルモンを止めるんですよね。ホルモンがガンの餌になるって当時のドクターは言っていました」
ここからNさんの「擬似更年期」が始まります。
「まずは大汗に悩まされました。ホットフラッシュですよね。
地下鉄に乗っていても、授業を受けていても滝のようにとにかく汗をかいて、いつも洋服がビショビショ。
そしてどんどん体重が増えていきました。治療を始めて半年過ぎた頃には10キロの増加!」
でも心の支えだったのはデザイン学校に通う同級生たちでした。さすが多様性の国アメリカなので、年齢も国籍も外見も様々。いろんな人がいます。
そんな中では、汗をかいていようが、10キロ太ろうが、「そうなんだ」I see. の一言で済んでしまったのだそう。
「これは本当に助かりました。もし日本だったら、気にしいの私はきっと汗にも自分の体重にも苦しんだことでしょう。やっぱりアメリカに残ってよかった!」
1年間の治療を終えて、ドクターから治療完了のお墨付きがもらえました。
ところが、一息ついたはずのNさんを襲う次の嵐とは…
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