安奈淳、53歳での全身性エリテマトーデス発症「生死を分けた日」とは#2

元宝塚歌劇団星組・花組トップスターの安奈淳さん。『ベルサイユのばら』のオスカル役を演じ、第一期ベルばらブームを築きました。

しかし50代からは一転、何度も死にかけたという長い闘病生活に。その後歌の世界に奇跡の復帰を遂げ、74歳の現在も精力的に行うコンサート活動を続けています。

50代以降苦しんだ闘病について、書籍『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』からご紹介します。

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トップ画像/長い闘病から奇跡の復帰、コンサートを続ける。ステージでは歌える喜びを噛み締めている。Photo by Tomoko Hidaki

全身性エリテマトーデスという難病に侵され

2000年の春。体のむくみは徐々に悪化し、脚はまるで象の脚。靴も履けないし、顔は腫れあがるし、体重はどんどん増えていきます。しかも呼吸がしにくくなり、息も絶え絶えで舞台袖に倒れ込むような状態で演じ続けていました。千秋楽がすむと、当時お世話になっていた熱海の民間療法の先生のところに駆け込んだのですが、なんとそこで呼吸困難に陥ったのです。熱海から東京の病院まで救急タクシーで搬送されました。

 

「到着するのが1時間遅かったら、命はなかったですね」と、のちに主治医の先生に言われるほど、私の状態は重篤なものでした。病院に駆けつけてくれた友人の松原和子さんらは医師から「お気の毒ですが、もう助からないでしょう」と言われ、葬儀をどこでやるかまで考えた人もいたそうです。

 

集中治療室に運び込まれた私の記憶はおぼろげです。印象深いのは、バケツほどの大きなビーカーに黄色い水がたまっていたことでした。背中に刺された管から出ていた水です。看護師さんに聞くと、「お小水です」と言われて驚きました。

 

確かにしばらく尿が出なくなっていたのです。2日間かけて水を抜いてもらうと、入院時60キロあった体重は38キロに。20リットルを超える水が全身にたまり、肺や心臓にも侵入して溺れているような状態になっていたのです。

 

医師たちの必死の治療もあり、なんとか一命をとりとめました。病名は膠原病の一種「全身性エリテマトーデス」。膠原病は免疫機能に異常が起こって、全身のあちこちにトラブルが発生する病気です。なかでも全身性エリテマトーデスは難治性のもので、ほぼ治らないと言われました。

 

つらい治療が続き、2カ月後にようやく退院。「これからは自分らしい生活ができる」と思いきや、その後も入退院を繰り返し、仕事に復帰する目途はたちません。しかも大量の薬はさまざまな副作用を引き起こしました。とくにひどかったのはうつ症状です。私の場合、投げやりな気持ちが強くなったようです。

 

つづき>>>眠れない夜が続き、徐々に「死にたい」という感情に支配される

 

 

70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』 安奈淳・著 1,760円(10%税込)/主婦の友社 

 

 

元宝塚歌劇団星組・花組トップスターの安奈淳さん。 1965年入団後、27歳で『ベルサイユのばら』オスカル役を演じ、“第一期ベルばらブーム”を築く。

1978年に宝塚退団後は、持ち前の歌唱力と演技力を活かして舞台などで活躍していたが、50代で膠原病となり生死の境をさまよう。その後、長い闘病生活を経て奇跡的に復帰。74歳の今、精力的にコンサートを開催し、チケットは即完売の人気ぶり。

最近ではインスタ(@annnajun0729)の私服ファッションが評判となり、ファッション誌にたびたび取り上げられるように。

薬の副作用によるうつで、一時期は手持ちの服をほぼすべて手放してしまった安奈さんだが、今は本当に気に入った服だけをセンスよくコーディネートして楽しんでいる。その姿が女性たちの熱い支持を得ている。 自身の体験に基づいた生き方の金言とともに、安奈さん流の着回し術や服選びのコツを紹介する、写真満載の初のヴィジュアル本。

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