「この子と一緒に命を絶とう」思いつめた重度知的障害児の母親。孤独のなかで見つけた、もう一つの生き方【体験談】

2025.08.31 LIFE

この「家族のカタチ」は、「私たちの周りにある一番小さな社会=家族」を見つめ直すインタビューシリーズ。いまや多様な価値観で描かれつつある、それぞれの「家族像」を見つめることは、あなたの生き方や幸せのあり方の再発見にもつながるでしょう。

今回から2回にわたってお話をうかがうのは、健常児と重度知的障害児の兄弟を育てるシングルマザー・まどかさん(仮名・40代前半)です。20代で結婚後、30代で授かった第二子が重度の知的障害を伴う自閉症児と診断。それに追い打ちをかけるように待っていたのは、夫の裏切りでした。

かつての出来事を振り返るまどかさんの口からは「命を断つことも考えた」という衝撃的な一言も。ところが、今回のインタビューに答えるまどかさんの口調は、明るく、穏やかです。深き葛藤とどのように向き合い、乗り越えたのか――その道筋を探ります。

 

※記事中の画像はすべてイメージ画像です。

【家族のカタチ #10   障害とともに編】

 

『私が母親になっていいの?』心の傷がくすぶる初めての妊娠

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「初めての妊娠がわかったのは結婚から3年ほど経った時。夫の喜びをよそに、私の胸には『母親になっていいのだろうか』『虐待をしてしまうのではないか』――そんな戸惑いと不安ばかりが募りました」。

14年前に出産した長男の妊娠判明当時の心境を、そう振り返るまどかさん。

自身は「至って普通の環境」で育ち、被虐待児でもなかった一方で、「あまりいい経験をしてこなかった」とも。いくつか質問を重ねると、親子間での心の傷つきが浮かび上がってきました。

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たとえば、大学時代。ある日、学事課から告げられたのは「大学から除籍になる」という唐突な報せでした。親に支払ってもらっていたはずの大学の授業料が、知らぬ間に滞納されていたのです。慌てて事実を確認するうちにわかったのは、ギャンブル依存症に陥った母による、学費の使い込み。そればかりか、まどかさんが小さい頃から貯めていた貯金まで、きれいに消えていました。

大学へは急ぎの対応が奏功して、何とか卒業まで辿り着けたものの、この一件以来母が重ね続けた嘘は、まどかさんの心に大きな傷を残しました。

「今思うと、頭ごなしな物言いをしがちな親だったんですよね。私にとってはそれが普通の環境でしたが、信頼関係は醸成されにくかったのかもしれません。それに加えて、この除籍騒動。いまだに母を信じられないこの私が、果たして母として子どもを育てられるのか――そうやって不安を膨らませた気がします」。

 

 

孤独な育児を救ってくれたのは、義母だった

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とはいえ、いざ生まれてみると、我が子に確かな愛情を抱くことができたまどかさん。かつての不安に捉われる暇もないほどに慌ただしい育児に奔走しつつ、すくすく育つ姿に大きな喜びを覚えました。ところが、妊娠を喜んでいたはずの夫は「育児に協力的」とは言い難い状況だったとか。

「最初こそ、夫は長男をかわいがっていましたが、間もなく、泣き声にも『うるさい』と言い放って、別室で過ごす時間が増えたんです。特に手を貸してもらえるわけでもなく、育児は完全に私の役目でしたね」。

実はまどかさんは、それ以前から夫との関係を対等だとは思えていませんでした。20代半ばで結婚を決断した頃は、夫のはっきりとした物言いに頼もしさを感じたものの、夫婦としての生活をスタートすると、精神的な逃げ場を奪われる要因となったようです。

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「遠距離恋愛からの結婚を機に、私は知り合いが誰一人いない土地に引っ越しました。しかも夫は月の半分ほど出張。どうしても孤独に苛まれるんですよね。思わず涙を流すと『そんなのわかってて嫁いできたんじゃないの?』と怒られるんです。何か話しかければ『起承転結がない』と指摘されることもしばしば。子どもを授かる以前から、他愛もない雑談をしたり、共感し合ったりという日常は、あまりなかった気がします」。

当時を振り返る言葉の隙間に、寂しさと切なさをのぞかせるまどかさん。気持ちを共有しにくい夫婦関係で、一体どうやって日々の育児を乗り切っていたのでしょう?

「あの時私が頑張れたのは、義母の存在が大きいですね。実は当時、職場の事情で出産から4か月後に仕事復帰することになったんです。保育園も決まらず、どうしよう……と思っていたら、それを見た義母が、『私がお世話を引き受けるから、安心して働いておいで』と、環境を整えて背中を押してくれたんです。とてもいい方で、本当に恵まれていました」。

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9時から17時まで仕事をこなし、帰宅と同時にワンオペ育児――それは目が回りそうな日々でした。それでも、あたたかな義母に支えられ、妊娠当初に抱いていた「私が母親になっていいのだろうか?」という思いは、いつの間にか静かに姿を消していました。それどころか、新生活に少し慣れた頃、まどかさんは「この子に、兄弟を作ってあげたい」と考え始めます。

「私にも夫にも兄弟がいましたから、お互いに兄弟がいる楽しさに触れて育った環境だったんですよね。だから、『2人目を作りたい』と、私から夫に相談しました」。

相変わらず、夫は育児に積極的に関わる状態ではありませんでした。。それでも、義母もあたたかく助けてくれるし、長男が楽しい環境で過ごすことの方が大事。

「何とかなるかな、何とかしよう、と思えたんですよね」。

『実母と自分は、全く別の人生を生きられる。そして、自分は一人ではない』――そんな気づきが、まどかさんの大きな変化を後押ししてくれたのかもしれません。

 

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