戦国時代の「遊女」たちが担った、「えげつない」役割とは。女たちの過酷な日常と、戦国武将のリアル【NHK大河『豊臣兄弟!』第11話】

2026.03.31 LIFE

*TOP画像/藤吉郎(池松壮亮) 小一郎(仲野太賀)ほか 大河ドラマ『豊臣兄弟!』11話(3月29日放送)より(C)NHK

 

『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「戦う男たちの女遊び」について見ていきましょう。

 

戦国時代における遊女

2025年に放送された大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合ほか)は蔦屋重三郎(横浜流星)を中心に吉原を舞台に物語が展開しました。多くの視聴者が女郎(遊女)の境遇に涙したと思います。戦国時代から江戸時代初期にも遊女は存在しましたが、当時の遊女の見た目は蔦重の時代とは大きく異なり、吉原の遊女とは別の苦労を強いられていました。

 

戦国時代の遊女の髪型は吉原の遊女のようなアップスタイルはまだ一般的ではなく、長い髪を下ろした垂髪(すべらかし)が主流でした。また、現代でいう長めのボブのようなヘアスタイルの遊女もいました。遊女が着ていた着物の柄はさまざまでしたが、帯は細く、紐状で、現代人がイメージしがちな幅広の帯とは異なるものです。

 

そして、戦国時代における遊女の最大の特徴は、戦場が職場の1つであったことです。当時、兵士は戦の合間に酒や博打(ばくち)、女にうつつを抜かしていました。遊女は戦場で危険にさらされながら、戦う男たちに色を売っていたのです。客である上級武士のニーズを察知し、戦場に赴いて金を稼いでいました。商売とは何であれ、人が多く集まり、需要が高い場所こそが儲かるものです。戦国時代における遊女にとって、戦場こそがまさにその場だったのです。

 

遊女の戦場での意外な役割とは?

遊女の戦場での役割は男を抱くことだけではありませんでした。戦場という過酷な環境下では明確に分業できないためです。遊女の中には祈祷や占いをして、勝敗を占える女性もいました。当時、占いができる遊女は高い需要がありました。

 

また、生きるか死ぬかの戦場では「私は遊女だから色を売る以外はしないわ」 などと言っていられません。遊女は飯たきや風呂の支度などの後方支援も担っていたほか、首実検(武士が討ち取った敵の首の身元を確認する儀式)のための首化粧を任されることもありました。さらに、遊女は敵方の武士に抱かれることもあったため、重要な情報網でもありました。

 

現代の武装紛争においても、兵士の極端なストレスや性的欲求のはけ口、精神的な支えとして女性が利用されるケースが報告されています。歴史を振り返っても、戦場という極限環境下では、男性の精神的・肉体的な支えとして女性が位置づけられ、望むと望まざるとも性的関係を強いられる、あるいは期待されるケースが繰り返されてきたのです。

 

当時は珍しい「恋愛結婚」をした豊臣秀吉も、激しい女遊びで

豊臣秀吉はおね(ねね)と当時としては珍しい恋愛結婚をし、妻を生涯にわたって深く愛し続けました。それでも、秀吉は織田信長の家臣の中でも特に女好きであり、女遊びを繰り返していたのです。おねは夫の女遊びに悩まされ、主君である信長に相談したこともありました。信長は夫のことで悩むおねに粋な助言を送っています。

 

「あなたのように美しく、ステキな女性は、あの禿げねずみ(=秀吉)にはもったいないくらいだ。正妻として堂々とし、嫉妬せずにうまくやりないさい」

信長といえば残虐で暴力的なイメージが強いですが、この助言には部下とその妻へのあたたかな心が伝わってきます。相談者であるおねを高く評価し、ご機嫌を取りつつ、秀吉を「禿げねずみ」とこき下ろしながらも、女遊びに対しては寛容な姿勢を示しています。

 

ちなみに、2014年に放送されたNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』には、おね(黒木瞳)が信長(江口洋介)のところへ、秀吉(竹中直人)の女遊びについて相談に行くシーンがあります。

信長は「おね しばらく見ないうちに一段と美しくなったのう 秀吉にとってできすぎた女房じゃ」「おぬしも正妻なのだ 堂々としておればよい おぬしと禿げねずみは似合いの夫婦じゃ」と言っておねの心を落ち着けたあと、おねの頼みに応じて秀吉に手紙を書いていました

 

秀吉の数々の女遊びの中でも、おねをもっとも困惑させたのは、秀吉が浅井長政とお市の方(信長の妹)の娘・茶々(淀殿)との間に男児・秀頼を授かった出来事でした。秀吉が関白に就任し、太政大臣にも任命され、年齢も50代半ばに達した頃のことです。妻であれば誰しもが、老いた夫(※1)が娘ほどの年齢の女性との間に子どもを授かれば、驚愕し、感情が大きくかき乱されるでしょう。

 

ちなみに、秀吉とおねは実子を授かれなかったため、秀吉は50代にしてはじめて我が子を抱くことができました。おねは秀吉と結婚したことで、天下人の正室として国の頂点に立てましたし、経済的にも非常に恵まれた生活を送れました。しかし、秀吉の傍若無人な振る舞いによってつらい思いをしたことも多々あったはずです。それでも、おねは秀吉を愛していましたし、秀吉もおねを愛し、信頼していました。

 

女好きゆえに妻を悩ませてきた秀吉ですが、男の情を知るゆえに兵の士気を保つ策も思いついていました。秀吉は小田原攻めにおいて、参陣する大名に妾を呼び寄せることを認めています。戦における兵のモチベーション維持にも抜かりなかったのです。

 

本編では、戦国時代の遊女が戦場で担っていた過酷な役割と、秀吉がおねを深く愛しながらも女遊びを繰り返していた背景についてお伝えしました。
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では、義昭と信長の不穏な関係、京都奉行となった藤吉郎の乱れた生活、そして直を忘れられない小一郎の前に現れた新たな縁談についてお届けします。

 

 

※1 戦国時代では乳幼児死亡率を含めた平均寿命は30歳前後とされ、当時において50歳はかなり高齢と見なされていた。

 

<参考資料>

稲垣史生『戦国時代大全(KKロングセラーズ)』 ロングセラーズ、2016年

学研プラス『図説 戦国女性と暮らし』学研プラス、2011年

楠戸義昭『豊臣秀吉99の謎』 PHP研究所、1996年

二木 謙一『図解 戦国合戦がよくわかる本: 武具・組織・戦術から論功行賞まで』PHP研究所、2013年

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