秀吉に人質に出された万丸は、大人になって叔父から「ひどい仕打ち」を受け……。万丸だけではない、家族から非常な扱いを受けた戦国時代の男たち【NHK大河『豊臣兄弟!』16話】

2026.04.28 LIFE

*TOP画像/とも(宮澤エマ) 万丸(藤田蒼央) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』16話(4月26日放送)より(C)NHK

 

『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「人質に出された男性」について見ていきましょう。

 

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◆幼くして人質に出された万丸。どこで成長し、どんな人生をだどった?

幼い頃から、秀吉に都合よく利用されてきた秀次(万丸)

本放送回では、小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)が、宮部継潤(ドンペイ)を織田方の味方につくよう説得する役割を担っていました。継潤は藤吉郎に子を人質として提示することを求めたものの、彼に子がいないことを知ると、「では 近しい身内の子で構わぬ」と譲歩。そこで、白羽の矢が立てられたのは、ともの息子・万丸(藤田蒼央)でした。ともは家族の中で万丸を養子に出すことをもっとも強く反対し、自身と愛息子の境遇に大粒の涙を流していました。

 

史実においても、豊臣秀吉は自身の甥であり、姉・智(とも)の息子である万丸を浅井家家臣の宮部継潤に渡しました。時期は、秀吉が浅井長政攻略に従事していた頃です。

 

万丸が人質に出された年齢は定かではないものの、5歳という説もあります。5歳といえば、何事においてもぼんやりと理解できる年齢です。彼は自分が初めて会った人を「父」と呼ばなければならないことに困惑したともいわれています。また、万丸は「宮部治兵衛尉吉継(みやべじひょうえのじょうよしつぐ)」と、継潤のもとで名乗ることを求められました。

 

1573年、小谷城が攻め落とされ、長政が亡くなると、継潤は秀吉の寄騎(よりき)になりました。これにより、吉継(万丸)は秀吉のもとに帰ることができました。

 

大人になった吉継(万丸)は豊臣秀次と名を改め、秀吉の嫡男・鶴丸の死後には秀吉に代わって関白の地位を与えられました。

 

しかし、秀吉に息子の秀頼が誕生すると、秀吉と秀次との間に軋轢が生じます。秀吉は“姉の息子ではなく、我が息子を跡継ぎにしたい”と考え、秀次を煙たがったのです。

 

秀次は乱行の噂を広められ、謀反の罪により、自害に追い込まれました。乱交も謀反も冤罪だった可能性が高いといわれています。

 

秀次は小田原北条氏攻めでは先陣として活躍し、尾張一国を中心に100万石の領主としての地位、さらに関白の地位にも就きました。しかし、幼い頃に継潤のもとへ人質として出され、最後には謀反の罪を着せられて自害に追い込まれるなど、叔父・秀吉に翻弄される人生でした。

 

豊臣家における最初の犠牲者は智と秀次でしたが、母・なか、妹・あさひにも秀吉によって窮地に追い込まれる日が近い将来訪れます。

 

時代思潮や価値観を考慮すれば、秀吉の性格が特段悪かったわけではないでしょう。それでも、彼の出世の裏では、家族は秀吉に生き方を決められ、つらい経験もしています。

 

 

◆戦国時代、男性たちはなぜ人質に出され、どんな人生を歩んだのか

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