【力強い戦国の姫たち】波乱の市、家を守ったまつ、武将が一目置いたおね――乱世を生き抜いた女性たちの活躍

2026.07.28 LIFE

限られた領域の中で才能を発揮した姫

戦国時代は男の時代であり、女については”男の保護下” “縁の下の力持ち”といったイメージを抱きがちですが、実際のところ少々異なります。というのも、女性が家の“奥”へと本格的に追いやられたのは江戸時代であり、戦国時代や鎌倉時代は女性も活動的でした。

 

戦国時代、姫たちの中には自らの役割を全うした女性、国の中枢を担う男たちから厚い信頼を得た女性もいます。

 

●織田信長の妹・市

『豊臣兄弟!』の28話では、市(宮崎あおい)が織田信長(小栗旬)の死の報せを受け、目に涙を溜め、そのまま倒れ込みました。市は浅井長政(中島歩)を失い、最愛の兄である信長をも失った悲劇の姫。

 

史実では、信長の死後、市は三人の娘を連れて、織田家の重臣である柴田勝家の正妻となりました。市は36歳、勝家は56歳のときでした。二人の結婚が決まったのは、清洲城で開かれた織田家の跡目相続会議。また、二人の結婚には、信長の息子・信孝も深く関係しています。信孝は市に勝家との結婚を懇願したといわれています。信孝は市を勝家に嫁がせることで、勝家を自分の味方にしようと考えたのです。

 

ちなみに、市には豊臣秀吉との再婚の話もあったそう……。秀吉は市を側室にすることを望んでいました。しかし、​秀吉は市と浅井長政の息子である万福丸の処刑(串刺し、もしくは磔という説が有力)の過程に深く関与していたとされ、市は秀吉に強い恨みを抱いていました。そのため、秀吉から妻(側室)として求められた際も否定的だったという説もあります。

 

勝家と市の結婚は政略結婚ではあるものの、市は勝家にある程度は好意を抱いていたはずですし、信長の後継者に秀吉ではなく、勝家になってほしいという願いも込められていたと考えられます。

 

市は秀吉と勝家との戦で、勝家とともに自害しました。秀吉軍の総攻撃に負けを認めた勝家は市を刺し、その後に自刃しました。

 

●“戦国三賢妻”の一人として名を連ねるまつ

戦国三賢妻(せんごくさんけんさい)とは、戦国武将を支えた三人の妻を指す呼称で、おね(豊臣秀吉の正室)、まつ(前田利家の正室)、千代(山内一豊の正室)のことです。

 

特に、利家の妻・まつは才色兼備の良妻として知られていました。まつが利家に嫁いだのは12歳のとき。21歳の利家のもとに嫁ぎました。ちなみに、二人はいとこ関係にあります。

 

利家とまつは夫婦としても愛し合っていましたが、利家にとってまつは今でいうビジネスパートナーでもありました。

 

例えば、織田信長の死後、利家が柴田勝家に味方し、旧友・秀吉との関係がこじれたことがありました。このとき、まつが秀吉に交渉したからこそ、秀吉と利家の関係は修復されました。また、利家と富山城主・佐々成政との戦いでは、まつが多額の資金を用立てしたからこそ、前田家が勝利をつかめました。

 

ちなみに、利家は容姿端麗で槍の名手としても知られていましたが、喧嘩っ早く行動も派手だったといわれています。

 

まつとの新婚生活が始まって間もない頃、まつからの贈り物を盗んだ同朋衆の十阿弥(じゅうあみ)を斬り捨て、信長から無期限の謹慎を命じられました。まつは利家に愛想をつかすこともなく、献身的に支えていました。

 

●秀吉の女癖の悪さに悩みつつも、夫を見守り続けたおね

おねは秀吉のもとに14歳で嫁ぎました。おねが嫁いだ頃の秀吉は身分が低く、彼が天下人になると予想していた人はいなかったはずです。おねは才色兼備で、人間力も高く、周囲から高く評価されていました。信長も徳川家康もおねを評価しており、彼女の発言に対して真剣に耳を傾けていました。

 

おねと秀吉の間には実子がいなかったものの、二人は多くの養子を迎え、我が子同然に愛情を注いでいました。秀吉を献身的に支えた加藤清正、福島正則、浅野長政もおねに愛情を注がれながら育った男たちです。また、おねは城をとりしまっていただけでなく、一国の主の妻として、今でいう外交官や官房長官のような役割を担っていました。

 

1588年、おねは第107代後陽成天皇を秀吉の邸宅・聚楽第(じゅらくてい、-だい)に招き、もてなしています。聚楽第行幸への尽力が高く評価され、従一位に叙せられました。その後、朝廷と交渉を行ったり、人質となった大名の妻子の世話をしたりしています。

 

そんなおねですが、女癖の悪かった秀吉に長らく悩まされていました。特に、秀吉が50代半ばにして、信長の妹・市の娘である茶々(淀殿)との間に子を授かった際には、感情をかき乱されたに違いありません。

茶々は秀吉の跡継ぎを産んだという誇りから、自分の母親ほどの年齢のおねに対して、傲慢な態度を取っていました。おねは感情をぐっと抑え、静かに耐えていたと伝わっています。

 

■荒木村重の妻・だしの悲しき運命とは

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク