“マウント合戦” に“見栄の張り合い”。戦国の女の友情は悲惨だったのかーー寧々(秀吉の妻)とまつ(利家の妻)は「敵」か「唯一の友」か?

2026.08.25 LIFE

我が娘をねねに託したまつ

史実において、前田利家とまつはいとこ関係にあり、まつは12歳のとき、21歳の利家に嫁ぎました。二人は子宝に恵まれ、11人もの子どもを授かりました。当時においても、11人も子どもがいる夫婦は、さすがに珍しかったようです。

 

前田夫妻は子どもに恵まれなかった豊臣秀吉とねねに、四女の豪を養女として預けました。この話にはいくつかの説があります。その一つは、発案者がねねだったというものです。40歳を過ぎても跡継ぎに恵まれず、女遊びで不安な気持ちをごまかしている秀吉の心を察し、まつから子どもをもらうことを思いついたというのです。ほかにも、豪は生まれる前から秀吉とねねの養女になると決まっていたという説もあります。いずれにしても、秀吉とねねは豪を我が子のように深く愛し、大切に育てました。

 

また、藤吉郎と小一郎(仲野太賀)の帰宅を祝う席に利家とまつが招かれた場面が第12話にあります。藤吉郎が「何でお主らまでおるのじゃ」と声を荒げると、利家は「屋敷が隣だからと ねね殿に呼ばれたのじゃ」と得意げに答えていました。

 

史実でも両家はスープの冷めない距離にあり、ねねとまつは茶飲み友達としてさまざまなことを語り合っていたと伝わっています。

 

▶「賤ケ岳の決闘」での利家の心のうちとは

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