火薬1樽と若い男女50人を交換、西洋の商品目当てで入信する大名……。秀吉の「バテレン追放令」は残酷なのか。戦国時代の貿易とキリスト教布教の闇
戦国時代は貿易が盛ん。火薬と引き換えに売られた人も……
日本で戦国時代が始まった頃、ヨーロッパでは大航海時代が幕を開けていました。日本がヨーロッパとの貿易を本格的に始めたのは1543年です。1510年、インド・ゴアを占拠したポルトガルは南シナ海に進出し、マカオを拠点にアジア貿易を始めました。
1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着したことをきっかけに、南蛮貿易が始まりました。日本は銀や漆器などを輸出し、ヨーロッパからは鉄砲、火薬、毛織物などを、中国からは生糸や絹織物を主に輸入しました。
南蛮貿易はキリスト教(カトリック教会のキリスト教)の布教活動と密接に結びついており、商人は布教を認めた地域を中心に来航しました。このため、戦国大名の中には商品を売ってもらいたいがために、宣教師の布教を認める者、洗礼を受ける者もいました。
戦国大名が南蛮人との交易で手に入れた品々の中でも、特に高い価値を見出していたものの一つが火薬です。火薬の原料である硝石は当時の日本ではほとんど産出せず、南蛮貿易に頼るしかありませんでした。大名の中にはキリスト教の布教を認めただけでなく、火薬と引き換えに領民を奴隷として差し出す者もいたとされ、火薬一樽に対して50人程度の若い男女が相場だったともいわれています。
▶キリスト教徒に好意的だった秀吉が、バテレン追放令を発したのはなぜか
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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