火薬1樽と若い男女50人を交換、西洋の商品目当てで入信する大名……。秀吉の「バテレン追放令」は残酷なのか。戦国時代の貿易とキリスト教布教の闇
秀吉がキリスト教徒を追放した真相は?
日本にキリスト教がフランシスコ・ザビエルによって伝わったのは1549年のことです。このとき、織田信長は15歳頃、豊臣秀吉は12歳頃でした。
信長はキリシタンではなかったものの、キリスト教徒に好意的で、秀吉も当初はその政策を引き継いでいました。しかし、秀吉は九州平定後の1587年、伴天連追放令(バテレン追放令)を発し、宣教師に20日以内の国外退去を命じました。
秀吉が激怒した直接のきっかけは、キリシタン大名・大村純忠が長崎の土地を教会に寄付したことでした。加えて、九州に足を運んだ際、キリスト教が想像以上に勢力を拡大していることを知り、危機感を抱いたためです。
さらに秀吉は、南蛮人の目的がたんなる布教にとどまらず、“日本の植民地化にあるのではないか?”と心配していました。また、南蛮人が日本人の男女を安く買い取り、男を兵士に、女を奴隷にしていた事実にも強い怒りを覚えていました。
そうした中で、秀吉は伴天連追放令を出し、キリシタン大名には改宗を命じました。しかし、全大名が従ったわけではありません。高山右近は命令に背いて信仰を貫いたため、領地と財産をすべて没収されています。
▶宣教師たちが抱えていた任務とは
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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