【岩井志麻子】なんで「あの人ばかり」? 依怙贔屓のウラ側

2020.06.16 WORK

なんとなく混同しがちだけど、贔屓と依怙贔屓って似て非なるものなのね。どちらも気に入った人に肩入れ、優遇することだけど。後者の方が強い感じを受ける。

前者は、贔屓されなかった人から見ても、「あちらが贔屓されるのは当然」「私が贔屓してもらえないのは仕方ない」と、納得できる理由がある場合だからね。
しかしそこに依怙がつくと、その肩入れの理由が今一つ納得できない、優遇の意味が不透明で「なんで?」となるんだわ。そして贔屓にしても依怙贔屓にしても、する側にはとても強い理由や事情がある、と思われがちなんだけど。意外と、そうでもなかったりする。

 

「依怙贔屓」のウラ側には

テレビでいえば、私が変なオバサン枠で選ばれた場合、スタッフに「ぼくは岩井さんが一番おもしろい」と正しく贔屓する場合もあるかもだけど。周りの多くの人に、それが客観的にではなく主観だと思われたら、依怙贔屓といわれてしまうわ。

同じくらいの知名度、力量のオバサン候補を三人くらい並べた場合、「A子は、司会者と相性よくない」「B美は、アシスタントのC恵と男を取り合った過去がある」みたいな、消去法に近い方法で選ばれることだってあるのよ。

「岩井が一番、金にうるさくないから」みたいな、才能や存在感を評価するのではなく、単に楽だから、みたいな理由で選ばれているんじゃないか、と思えるときもある。だけどそれだと、選ばれなかった人達からは依怙贔屓されたとみなされる恐れもあるわね。

 

たとえ消去法だとしても

私は自宅マンションの向かいにある店によく行くが、贔屓の店かと聞かれれば、ちょっと首を傾げる。あんだけ行ってりゃ、贔屓してると思われるのが普通。でも、「とにかく近い」「いつも空いてる」「まずくはない」といった、消極的な理由しかないのだ。

遠くても行く、長時間でも並べる、だったら贔屓の店だろうけど、遠くなって混むようになれば行かないよ。もしかしたら、理由が不透明かつ納得させにくいのに行ってしまうということは、一周回って依怙贔屓してんのか。自分でもわからなくなる。

 

仕事はもちろん恋愛や結婚に当てはめても、はっきり理由がわかる贔屓と、納得いかない依怙贔屓がある。
人にもよるが、選ばれてうれしいのと選ばれなくてつらいのは、ともに贔屓ではなく依怙贔屓が関わっていると感じられる方ではなかろうか。選ぶ側が、不透明なんだもの。

スポンサーリンク

この記事は
作家 岩井志麻子

スポンサーリンク

スポンサーリンク