山口百恵、神話でも菩薩でもなく、ただ「かなえたかった」こととは
新しい人が現れては消える芸能界。誰もが生き残りをかけて必死ですが、そんな中、引退したにも関わらず、強い存在感を放つ人がいます。山口百恵さんです。
人気絶頂時に、初めて愛した人と結婚することを選び、家庭に入った百恵さん。芸能人は一般人にはなれないと私は思っているのですが、この大スターだけは芸能界に戻る気配が全くない。
もはや神話の域に達した百恵さん。先日は、NHKが百恵さんのラストコンサートを放映したところ、同時間帯の視聴率トップを記録しました。これを受けて、女性週刊誌も百恵さんの“秘話”を記事にしています。
年々存在感を増す百恵さん。ハタチそこそこの頃もすごかった
自分語りで恐縮ですが、私は昔、「タレント本の書評を書く」という仕事をしておりました。芸能人は特殊な自意識を持っているんだなと思わされたものです。見て見て、私ってすごいでしょ、生まれつき非凡でしょと、なんかはしゃいでいる。けれど、ただ一人、まったくそういう自意識を感じさせなかったのが、山口百恵さんなのです。
引退間際に百恵さんが書いた自叙伝「蒼い時」(集英社文庫)は、200万部を売り上げる大ベストセラーとなりましたが、いま読んでも「私は特別な人間である」という自意識を全く感じさせません。
百恵さんが国民的スターになるにつれ、世の中に山口百恵論が出回ります。「山口百恵は菩薩である」とか「時代と寝た女」などのコピーが有名でしょう。
百恵さんの所属事務所の社長は、自著の中で「山口百恵の最大の魅力は大根足だ」と書き、写真家・加納典明氏は百恵さんのBCGの注射痕が残る腕に「色気を感じる」と言ったそうです。
それでは、当の百恵さんがそれらをどう受け止めていたかというと、「レコードの売り上げ枚数が私の十分の一しかないタレントに対してなら、そうは言わなかったのではないだろうか」と。他人の分析が「売れたタレントのことは、すべてがプラスに見える」というバイアスに過ぎないことに気づいてしまっているのです。
売れない芸能人がこう思うのなら当たり前ですが、頂点を極めたまだ21歳の女性がこんなこと言えるってすごくないですか?
百恵さんもすごいのですが、その周りの人もフツウじゃない。たとえば、百恵さんのお母さんはどんな人だったのだろうと思うことがあります。
あの時代でも、百恵さんの母は「引退するな」と言わなかった
百恵さんと言えば、複雑な生い立ちが話題になることは多いように思います。百恵さんのお父さんにはすでに妻子がいましたが、百恵さんのお母さんと交際するようになり、おじいさんには「ちゃんとしますから」と挨拶までしていた。
百恵さんのお母さんはそれを信じて出産したのでしょうが、実際は離婚することはなく、百恵さんと妹さんを認知したものの、経済的な援助は一切しなかったそうです。お母さんは内職などをして働きますが、家計は非常に苦しかった。
百恵さんのお母さんに結婚願望があったとしたら、お父さんの行為は裏切りです。幼い子供を二人抱えて、家計は苦しく、絶望したり、自分の運命を呪ってもおかしくはない。しかし、「蒼い時」にはそういう描写は一切ないのです。
男女の不思議さと言ってしまえばそれまでですが、お父さんとお母さんの関係は、百恵さんが高校生になるまで続きます。
美空ひばり、吉永小百合、中森明菜など、娘がスターになり、莫大なカネが入ると親兄弟がおかしくなるというのは、「スターあるある」です。
ひばりのお父さんは「ひばりの父」と呼ばれたくなくて事業をはじめて失敗。吉永小百合のお父さんは、カネのなる木である娘が結婚して引退なんて言い出さないように、恋人を作らせまいと常に見張りをつけていたそうです。明菜の兄弟も明菜に内緒で事務所に借金をしては商売をはじめ、つぶしてきたなんて話も聞きますが、百恵さんのお母さんはそんなことはなかった。
百恵さんの当時の収入は億を超えていたとも言われますが、その百恵さんが「引退する」と言ったときも、まだ学生さんだった妹さんの学費だけ出してくれればと言っただけで、「引退するな」なんてことは言わないのです。
三浦友和もまた、普通のオトコではなかった
百恵さんの夫、三浦友和も珍しい人ではないでしょうか。今でも女性のほうがハイキャリアだと「格下婚」などと言われてしまいますが、二人が結婚した昭和の時代、大スター・山口百恵と結婚するということは、自分から「格下夫」になりますというようなもの。
「蒼い時」によると、友和は百恵さんの引退を望んでいなかったそうですが、引退をのぞんだ百恵さんの気持ちを受け止めた。年収が億を超えていた女性を妻にし、養っていくというのはすごいプレッシャーだったことでしょう。
俳優は青春スターから大人の俳優に脱皮するとき、一時的に仕事で伸び悩むことはよくあるそうです。友和も仕事がなかった時期もあるそうですが、そこでヒネることもなかった。フツウの俳優なら、浮気でもしてバレたとしても昭和の時代ですから、「男のプライドが傷ついたから」と世間サマは言ってくれたでしょう。
しかし、友和は結婚した時に、百恵さんに「浮気をしない」と約束したそうです。口で言うだけなら簡単ですが、日刊DIGITALによると、地方ロケが終わり、盛り場に繰り出そうとすると「僕は女房がいるので、そこにはいきません」と空気を読まない行動をした。これはなかなかできることではありません。
女性問題はないものの、友和の著書「相性」(小学館)によると、仕事がなかったり、投資に失敗して長いこと借金を払ったりとお金の面では、百恵さんに迷惑をかけている。百恵さんはそんな友和を責めなかったそうです。
もともとキーキーしない性格ということもあるでしょうが、百恵さんは引退したものの、定期的にベスト盤が発売されていますし、歌唱印税も毎年入るので、落ち着いていられたという部分もありそうです。
百恵さんはお母さんと違う生き方をしたのか?
結婚せずに妻子ある人の子を産み、一人で育てた百恵さんのお母さんと、浮気しない夫を持ち、専業主婦となった百恵さん。二人の立場は、正反対に見えるかもしれません。しかし、形こそ違えど、ひたむきな愛し方が似ているようにも思えてきます。
「蒼い時」で、百恵さんは引退を決めた理由をこう書いています。
「私は彼のためになりたかった。外に出て行く夫にむかって、『いってらっしゃい』『おかえりなさい』と言ってあげたかった。愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった」
百恵さんのお父さんは、時々家にやってきて、ふらっと帰っていく、お客さんのような人だったそうです。当然、「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」を言う機会はなかったでしょう。
そう考えると、「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」は家庭の象徴であり、百恵さんはお母さんがなしえなかった唯一のことを果たしたのかもしれまえん。
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