田島陽子さん「50代からは、自分を生きる」もっと快適に、心地よく、自分を一番大事にして
40代、50代という人生の中間地点に立ったオトナサローネ世代。家庭のこと、仕事のこと、年老いていく親のこと、そしてこれからの自分自身のことなど、多くの人生の選択を迫られている人も少なくないでしょう。
そんな私たち世代に、エールを送ってくれる先輩たちがいます。
『50代からの生き方のカタチ—妹たちへ—』。人生の少し先を歩く「姉たち世代」の12人の女性たちがオトナサローネ世代の背中をそっと押してくれるようなメッセージをまとめた本です。
この本の中から、田島陽子さん(英文学/女性学研究者・元参議院議員・書アート作家・歌手)のメッセージを紹介しましょう。
田嶋陽子 Yo k o Ta j i m a
英文学・女性学研究者。津田塾大学大学院博士課程修了。元法政大学教授、元参議院議員。オピニオンリーダーとして活躍する傍ら、書アート作
家、シャンソン歌手としても活動。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)、『ヒロインは、なぜ殺されるのか』(講談社プラスアルファ文庫)、『田嶋陽子の我が人生歌シャンソン曲』(田嶋陽子女性学研究所)など多数。
当たり前は、当たり前じゃない
子ども時代に植えつけられた不安、怒りや罪悪感などは、理不尽にも人を長い間、支配するものです。それらを植えつける社会構造は、あまりにもそこに当たり前に存在して空気のようなものだから、人はそれになかなか気づけないでいます。
46歳から始まった、私の人生
私が自分の人生を真の意味で手に入れたのは、46歳の時です。
私の場合は長い間、母との関係に葛藤がありました。母は病気で寝たきりだったのですが、ベッドから竹の物差しで私を叩きながら躾をするような人で。「勉強しろ」と言ったかと思えば、「いくら勉強ができても可愛くなければ嫁のもらい手がなくなる」などと言い出したり。青信号と赤信号を同時に出していました。
ただ、今から思えば、母親は世間から後ろ指を指されないような娘に私を育て上げることに必死だったのではないかと。ただこうした矛盾が、本来の私を奪っていきました。
世の中は差別だらけ。その中でも一番たちが悪くて長続きしているのが構造としての女性差別
学校でも似たような差別的な発言の多くを先生がしていました。
一生懸命勉強して、努力して良い成績をとっても、「女は勉強ができたところで、生理が来たら終わり」などと。どうして女性はお嫁に行くことが基準なのか、どうして女性は勉強ができても評価されないのか。今になればよくわかります。
第二次世界大戦後に、日本経済の発展のために性別役割分業が国是となりました。
これは男性は外で金を稼ぐ役目、女性はその男性を助ける役目。男に金を稼ぐ自由はあっても女にはその男を助ける自由だけ。自分で働いてお金を稼ぎ、自分が自分の主人になることは許されていませんでした。女性はお嫁に行って子どもを産み、子育てと、ただ働きで家事労働をやって、とそれこそ男性の家を守るために必死で働くことだけを期待されていたということです。
結果的に女性を半人前としか認めない世間への恨みが、私がフェミニズム研究の道を歩むきっかけにもなりました。
男女平等はまやかしか
今は昔よりはマシかもしれないけれど、「女性は男性の庇護なしには生きていけない」というような通念は、そのまま社会構造に根付いてしまっています。イヤ、女性を自由にしないために根付かせてきたのです。
例えば、別れたら生活できないという理由で、問題のある結婚にしがみついてしまうとか。それでもイヤで逃げ出して、シングルマザーになったりすると、極貧の生活を強いられます。子どもを抱えて、年収200万円程度で必死に頑張っているような人は大勢います。日本にはイギリスやフランスのようにシングルマザーを当然な一つの生き方とするような行政的な措置がありません。民法上の男女不平等が大きな要因です。
また、一度仕事を辞めて家庭に入ると、女性の場合は正規雇用の道が絶たれたりします。その後、パートで働いても生涯賃金は5千万円弱(参考資料:ニッセイ基礎研究所「大卒女性の働き方別生涯所得の推計」2016年)。一方、定年まで働き続けた大卒女性の生涯賃金は2億5千万円弱(参考資料:「労働政策研究・研修機構『ユースフル労働統計2020』)。従って女性が結婚して子どもを産んでも仕事を辞めないですむ社会システムを完備すべきです。そうすることで女性の自由度は高まり、自分や家族だけでなく社会をもっと豊かにすることができるからです。
フェミニズムのことを知ってもらいたくて
たくさん叩かれて、孤独だったけれど、私が1990年代にテレビのバラエティ番組に出続けた理由は、その矛盾を示していきたいと思ったから。私の発言は男性だけでなく、フェミニズムを専門とする他の女性研究者からも随分嫌われたし、怒って吠えるところばかりが強調されるバラエティ番組の仕事に疲弊し辞めることを考えました。
そんな時、尊敬するフェミニストの駒尺喜美さんが、「学者が本を書いてもせいぜい2千部、ただあなたのように視聴率20%以上とれば2千万人が観ているんだから、もう少し頑張ってみたら」と言ってくれて。「邪魔ばっかりされているようだけど、一回に言いたいことを一つ言えばいいから、その代わり、たくさん出れば?」とのこと。そうはいきませんでしたが、それでも結局、たけしさんの「ビートたけしのTVタックル」は10
年以上、頑張りました。たった一人の運動でした。
世の中もきっと変わる
今では自分の蒔いた種を拾ってくれた人がいたのかな、と思えるような出会いもあったりして、報われた感もありますね。
30代、40代の男性が、子どもの頃に私の番組を観て影響を受けたと言ってくれることも増えました。そんな人たちが普通に家事や子育てをやっているという話を聞くと、「世の中はいい方向に進んでいるのかな」とも感じます。
妹たちへ
「女らしさ」を生きるのではなく、「自分らしさ」を生きる、いえ、「らしさ」はいりません。「自分を生きる」です。フェミニズムとはつくられた「女」から、一人の「人間」になることなんです。
「男らしさ、女らしさ」という社会規範の押しつけは、男を一級市民に、女を二級市民にして性別役割分業を定着させ、男女間の格差を増長させます。男が「男らしさ」を生き、女が「女らしさ」を生きると、この社会はいびつになります。なぜなら、女が女らしさを生きてしまうと半人前にしかならないからです。現に、今の日本はまだ男性中心の偏った社会です。男性主体の見方でつくった社会では、取りこぼしが多く、弱い立場の人たちに目が行き届きません。
社会はとかく女性に優しさや気が利くこと、キレイでいることや愛嬌があることなどを求めます。けれど、そんな他の人に便利な人になることよりずっと大事なのは、一人の自立した人間になるように自分を育てて、自分の人生を生きることです。社会が求める女性像に縛られるあまり、自分を生きることを忘れてしまうことがよくあります。そうすると不機嫌で意地悪な人になります。人生のつじつまが合わなくなったりします。
女性はもっと快適に、心地よく、自分を一番大事にして、自分の思う通りに生きていいのです。そうすれば、本当の意味での優しさや愛にあふれた人に成長することができます。一人の人間としてしっかり立って、自由を保障する経済力を持ち、人生を決断して、独立心や夢に向かって生きていくべきです。そうすることで他の人とも手をつないで、今より住みやすい社会をつくっていけるはずです。
これからの世の中は、女性も働いて税金を納め、社会や政治に参加して自分たちの意見を社会に伝えていかないと社会全体が立ち行かなくなります。皆さんは、そういう時代を生きています。民主的で差別のない社会をつくるには、何より女性たちが目覚めて、一人ひとりが自分の責任で発言し、行動し、参加していく必要があると思っています。
皆さんは、どんな人生でも選択することができます。そして、どんな人生を選択するかは、皆さんの思いひとつです。希望ある未来は、皆さんが自らつくる権利があることを忘れないで。
『50代からの生き方のカタチ ─妹たちへ─』(アルソス)
関西学院大学ジェネラティビティ研究センター・著
1,980円(税込み)
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