江戸時代の生々しい「ご近所づきあい」事情! うす~い壁の家で昼も夜も丸聞こえ。「トラブル」はなかったの?【NHK大河『べらぼう』】

2025.02.05 LIFE

江戸っ子たちの騒音の受忍限度は現代人よりも高め!?

長屋の壁は薄く、夫婦ケンカの声も赤ん坊の泣き声も隣家に響いたといわれています。さらに、隣夫婦の夜の営みの声が聞こえてくることもあったんだとか…。

 

また、長屋の路地では子どもが遊んでいました。当時の子どもの遊びといえば、かくれんぼやおにごっこ、ままごと、かごめかごめ、凧揚げなど。これらの遊びは静かにできるものではありませんので、子どもの声も各部屋に響いていたと考えられます。

 

当時においてはこれらの音に関するトラブルは“あまり”なかったといえるでしょう。周辺住民同士で“連帯感”を抱いていたため、生活音のトラブルはなかったという識者も少なからず存在します。他人や嫌な人が発する音は気になりますが、自分が好意を抱いている人の音にはイラつかないもの。また、子どもの音については大人たちが見守っていたと思われます。当時は“地域の子ども”という価値観が根強く、近所の子どもは赤の他人ではありませんでした。子どもが生まれれば地域ぐるみで喜んでいましたし、長屋では隣近所もいろいろと面倒を見ていたよう。

 

とはいっても、うるさいと感じることは誰しもあるものです。あまりにも大きな音が続けば「おめえさんのところ ちょいとうるせぇぞ」と注意し合う文化があったともいわれています。現代においても家族に「ちょっと静かにしてくれない?」ということはあると思いますが、それに近いといえるでしょう。

 

江戸っ子たちの騒音の受忍限度は現代人よりも高いのは確かでしょう。例えば、当時の人は歌舞伎や芝居を静かに、行儀よく鑑賞していたわけではありません。役者を大声で応援する人もいれば、罵声を浴びせる人もいました。さらに、劇場は社交の場でもあったため、演目とは関係のない話題で会話に花を咲かせる人も。礫川亭永理による『浮絵江戸堺町芝居之図』(1798)には上演中に会話をしているだろう人も演者に顔を向けていない人も描かれています。筆者は上演中の客席の音には敏感なタイプなので、「江戸においても静かに観たい人はいなかったのか」と気になってしまいます。

 

江戸時代の人たちも他人がたてる音を“うるさい”と思うことはあっても、現代の私たちがいう“騒音”とは少々違うニュアンスなのかもしれませんね。

 

「村八分」という言葉が生まれたのは江戸時代  次ページ

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク