元・不登校児がようやく見つけた「自分の取扱説明書」と「心地よい居場所」とは? 今、不登校の親子にどうしても伝えたいこと

2025.02.25 LIFE

気兼ねなく笑える、大切な場所。「好き」でつながるサードプレイス

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さゆりさんの支えになったものが、もう一つ。それは「サードプレイス」の存在でした。

「小学校6年生で通い始めた学習塾の友人をきっかけに、サブカルチャーという世界を知りました。同人誌を買ったり、今でいう『推し』のゲームキャラクターができたり。

時期を同じくして、パソコン好きだった父の影響で、家でインターネットを楽しむようにもなりました。1990年代後半に中学生がインターネット――って、世の中的にはまだまだ珍しい時代だったのですが、これが私にとって、ものすごく大きな存在だったんです」。

 

特に楽しんでいたのは、ゲームコミュニティ。

「何がいいって、既存の尺度から解放された世界で、仲間と会話ができるってこと。成績とか、クラスのヒエラルキーとか、そんなの関係なく、『この人が描く、このキャラクターがいいよね』とか、『○○のこういうところが大好き!』とか。何かの役に立つかとか、自分が目立てるかどうかとか、そんなのどうでもいいんです。ただただ『尊いよね!』という気持ちを共感しあえるあの瞬間は、まさに自分の本心でやり取りできる唯一の時間。学校では見せない素顔を晒せる、とても大切な場所でした」。

 

 

「不登校=学校と子どもの問題」ではない。もっと広い視野で、一緒に「次の一歩」を考えてほしい

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苦しかったトンネルを抜け、今は2児の母を育てながら、管理職として仕事に向き合うさゆりさん。

「『学校に行きたくない』と初めて口にしたあの日の自分に、『よくやった!』と言ってあげたい」――きっぱりとそう話す一方で、小さくこぼれたのは、「それでも、不登校を全肯定しきれる日は来ないかも」という思いでした。

 

「娘がこの春、小学校に入学します。娘は憧れのランドセルのカタログにマルを付けながら、わくわくしていたのですが……なかなかランドセルを買いに連れて行ってあげられなかったんです。これから娘が手にするランドセルと、あの日の私の空っぽのランドセルが重なってしまって……。自分の中に、過去が想像以上に強く残っていることを、初めて自覚しました」。

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さらに深く耳を傾けてみると、そのささくれの原因は、不登校そのものではなく、家族との関わり合いや、光を当ててもらえなかった届かぬ声にあったようです。

「あの時代では難しかったのかもしれないけれど、やっぱり『学校以外の選択肢もあったんじゃないか』『もっと早く自分に合った場所を選べていれば』と思ってしまうんです。そう考えるうちにいつも行きつくのは、『不登校に家族で向き合いたかった』という思いなんですよね。そっと見守ってくれていた母には感謝こそあれど、もっと能動的に私の気持ちに耳を傾けてほしかった。父に至っては、私の状況を見て見ぬふりでしたし、大人になった今でも不登校について話したことはありませんから」。

 

「もちろん、親に何もかも押し付けるつもりはない」と前置きしたうえで、さゆりさんは続けます。

「不登校って、『学校と子どもの問題』って捉えがちだけど、多分違うと思うんです。その状況を前に、もっと広い目で世界や我が子を見つめながら、どうやって次の一歩に進んでいくか――そう考えることが大事なんじゃないかな。もし親がそう思ってくれていたら、あの時の私はもっとうれしかったと思います。……とはいえ、我が子が不登校になったら、絶対私も動揺するし、そんなに広い視野で考えられるようになるには、時間もかかりそうですけどね(笑)」。

 

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