「いつまでも眠り続けて起きない」娘2人を育てるシンパパ小説家が、不登校の娘からの手紙に「声を上げて号泣した」理由とは?

2026.04.18 LIFE

「75年京都生まれ。小説家。シングルファーザーとして、ふたりの娘たちと京都で3人暮らしをしています」。そんな小説家・仙田学さんに、その視点を通して見えている世界を教えていただく連載です。

【仙田学・シングルファーザー小説家の子育てと社会日記】#1

 

ある日突然、小6の長女が学校に行かなくなりました

はじめまして、仙田学です。

 

シングルファーザーとして思春期の娘ふたりを京都で育てているわたしが、子育てをするなかで抱いた疑問や驚き、ちょっとした苛立ちなどをきっかけに、子育ての喜びや不安について掘りさげて考えるこの連載。第1回は、「不登校」について考える。

 

去年の2月から、とつぜん長女が小学校に行かなくなった。当時小6だった長女は中学生になってもほとんど登校せず、夏休み明けからは全く通っていない。

 

父親として、わたしはそれまで何の支障もなく歩いてきた道の途中で、いきなり大きな落とし穴に落ちたかのように困惑した。いや。落とし穴に落ちたのは娘だった。光の差しこまない暗闇でひとり取り残されて、まわりの子どもたちが学力面でも人間関係面でも体力面でもすごいスピードで変化していくなか、大切な機会を失い続けている。そう思うたびに、何をしていても胸の奥をぐっと押されているかのように苦しくなった。

 

それから1年と少し経ち、相変わらず長女は学校に行っていない。

 

離婚、京都への転居。そして娘2人との、案外とにぎやかで楽しい暮らし

離婚をして、当時3歳と5歳だった娘たちと一緒に、20年近く住んでいた東京を離れて京都にある実家の近くに引っ越したのは、2018年のことだった。

 

仕事も変えたため収入は大幅に減ったが、実家の母親に助けてもらいながら子育てをするうえで、わたしは少しでも多くの時間を子どもと一緒に過ごすように心がけた。

 

最初の1年は、ママ友をたくさん作ることを心がけた。というより、保育園の懇談会や役員、行事などに参加すると、他に来ているのはほとんどがママさんたちばかりだったのだ。わたしがシングルファーザーだとわかると、ママさんたちはあれこれ気にかけてくれた。公園などで会うと子どもたちを遊ばせながら立ち話ををするようになり、家族ぐるみで遊びにいくことが増えて、とくに仲良くなった5家族とは、隔月でご飯を食べに行ったり日帰りで遊びに行ったりするようになった。子どもたちも同じ年頃だったので、お互いの家にしょっちゅう出入りしていた。わたしの家にも平日の夕方や土日になると近所の子どもたちやママさんたちがたくさん出入りするようになった。

 

京都市の端の、田んぼや畑の多いのどかな土地で、大勢の友達に囲まれて、川遊びをしたり、暗くなるまで公園で走り回ったり、誰かの家で誕生日会やクリスマスパーティーをしたりと、娘たちは伸び伸びと育っていった。

 

娘たちが小学生になると、子育ての第1章が終わったと感じた。登校班で登校するので送り迎えをしなくてよくなったし、弁当を持たせる必要もなくなった。少しずつ手がかからなくなり、楽にはなったが寂しくもあった。一方で、娘たちは4歳の頃から習い事の空手を続けていたし、長女は5年生になるとYMCAに参加したいと言いだして、毎月まったく知らない子たちと一緒に泊まりがけでキャンプにでかけるようになった。健康で楽しそうに毎日を過ごしている姿は誇らしく思えた。

 

小6の冬、突如として長女の様子が変わり始めた。眠り続けている

長女の様子が変わったのは6年生の3学期だった。朝に起きられなくなり、耳もとで名前を呼んだり肩を叩いたりしても、深い眠りから戻ってこない。昼を過ぎてもそのままで、夕方まで眠り続けることもざらになった。

 

それでも午前中に起きられたときには学校まで送っていった。起きてこない日には学校に電話をしなければならないが、朝にならないとその日のことはわからない。そんなことが続き、3学期は11日間欠席した。卒業式には少し遅れたが参加することができて、袴姿で記念写真を撮った。

 

地元の中学校にあがり、4月は朝から通っていたが、GW明け頃からまた起きられない日が増えた。中学には給食がないので毎朝弁当を作り、起こしにいくが、目を覚まさずに夕方まで眠り続ける。起きてくるとソファに座ってぼんやりしてから、弁当を温めて食べる。すぐに夜になり、お風呂に入って晩ごはんを食べて10時半には布団に入る。

 

そんな日が1日また1日と増えて、1学期の終わる頃には全く行かなくなっていた。1学期の欠席日数は40日で、文科省による「不登校」の定義である、年間欠席日数の30日を超えていた。

 

こんな日がいつまで続くんだろう。わたしは先の見えない不安に押し潰されそうになった。

 

「遅れてでもいいからいまから行くか」「プリントだけでももらいに行こう」「明日は行けるかな」などと、最初の頃には声をかけていたが、すぐにそれはしなくなった。なにかの理由があって行けないのだとしたら追い詰めることになってしまうと思ったからだ。

 

つづき>>>中1の娘がただひたすら寝続けて学校に行かない。絶望の半年、父親が「たったひとつ続けた」いちばん大事なこととは

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