中1の娘がただひたすら寝続けて学校に行かない。絶望の半年、父親が「たったひとつ続けた」いちばん大事なこととは

2026.04.18 LIFE

「75年京都生まれ。小説家。シングルファーザーとして、ふたりの娘たちと京都で3人暮らしをしています」。そんな小説家・仙田学さんに、その視点を通して見えている世界を教えていただく連載です。

前編記事『「いつまでも眠り続けて起きない」娘2人を育てるシンパパ小説家が、不登校の娘からの手紙に「声を上げて号泣した」理由とは?』に続く後編です。

【仙田学・シングルファーザー小説家の子育てと社会日記】#1後編

 

わたし自身、中学、高校とも順調ではなかった。はっきりと、学校は苦痛だった

わたし自身が、小学校を休みがちで、中学校は3年の途中から行かなくなり、高校は全く行っていない。そのあいだはずっと部屋に引きこもっていた。親からも学校の先生からも、どうして行かないの? 行きなさい、と何度も言われたが、そのたびに親にも先生にも拒絶されているように感じた。当時のわたしにとって、学校は苦痛の源でしかなかった。そのまま通っていれば壊れてしまいそうだった。理由もなにもわからなかった。ただ本能的にそう感じて避けるしか道がなかった。

 

きっと長女もそうなのかもしれないと思った。だから学校へ行くことを無理強いするどころか、学校のことを話題にすることにも慎重になった。一方で、長女が学校に行かないという事実を受け止めきれずにもいた。まずはなにか理由があるはずだと思い、心身に異常はないかと小児科をはしごした。採血、心電図、MRI、心理検査……ひと通り調べてもらったが、どこにも問題はなかった。

 

「思春期には心も体も大きく成長します、その変化の大きさに気持ちがついていかず、疲れてしまっているのかもしれません」

 

何人もの医師から、そう告げられた。頭では理解できても、毎日16時間ほども眠り続けて、起きても何をするわけでもなく家にこもっている長女を前にすると、いい知れない不安と焦りが募った。

 

自分の経験でわかっていたことはひとつ。「親が苦しんでいるとは思わせないほうがいい」

このまま何年も経ってしまったら、学力面で取り返しがつかなくなるんじゃないか。多感な時期に友達と関わったりさまざまな体験をしたりすることで培われる、人間的な成長の機会が損なわれるんじゃないか。出席も成績も足りないままだと、将来の選択肢が極端に少なくなるんじゃないか。中学、高校、大学と進んでいずれは社会にでていくのだろうと、漠然と描いていた長女のロードマップの先が、いきなり暗闇に飲みこまれたかのようだった。

 

人間関係に問題があるかもしれないと、学校の担任の先生や養護の先生、スクールカウンセラーさんたちに、何度も相談しにいった。聞けば聞くほど、人間関係でのトラブルらしきものは皆無だった。親友と呼べるほど仲のいい友達が同じクラスにいるし、誰かにいじめられているわけでも仲が悪い子がいるわけでもなかった。

 

親にも友達にも先生にも言えない、本人にも自覚できない苦しみがあるのかもしれないとも思った。子どもの自死が増えているというニュースを見てからは、最悪のケースを考えることもあった。仕事で遅くなる日には近所の実家に住む母親に子どもたちを見ていてもらうのだが、長女と離れているとよくない想像ばかりが頭をよぎる。「もう起きた?」「昼ごはん食べた?」など、こまめにLINEのやりとりをして、返事が返ってくると詰めていた息を吐いた。

 

だが、心配したり苦しんだりしている姿を長女には見せたくなかった。学校に行っていないことを、極めて当たり前のこととして受けとめているかのようにふるまった。

 

絶望的な半年。わたしはただひたすら「楽しいことをする」手伝いだけを続けた

放課後や休日に友達と遊ぶこともぱたりとなくなったので、なるべく外に連れだすようにした。外食、温泉、映画、買い物、旅行……

 

わたしが中学に行かなかったとき、母親がたまに図書館に連れていってくれたり、叔母がサイクリングに誘ってくれたりして、あちこち出かけたのを、楽しかった思い出としてよく覚えている。その頃のわたしは、自分の将来のことなど何も考えていなかった。ましてや、学校に行かないことでなにかが損なわれるなどと思うこともなかった。

 

ただぼんやりとした不安に沈みきっているような数年間を過ごしていたが、そのなかにときおり楽しかった記憶があり、その記憶のおかげでやり過ごしてくることができたのだといまは思える。

 

だから、当時のわたしに母親や叔母がしてくれたように、わたしも長女が楽しい時間を過ごせるよう手伝いたかった。

 

学校に行っていなくてもなにも引け目に感じることはないよ、好きなことをすればいいし、楽しんでいいんだよ、と伝えたかった。

 

半年ほど経つうちに長女の顔には少しずつ表情が戻ってきて、会話も増えてきた。昼間に起きていられる時間も、ムラはあるものの前ほど短くはなくなってきた。

 

さらに半年ほどが経ち、わたしの誕生日に長女は手紙をくれた。誕生日おめでとう、いつもありがとう、とあり、そのあとに、「わたしにはいま、やりたいことがあります」と続いていた。将来なりたいものが書かれていて、そのためにやるべきことが具体的に並べてある。なかにはお金の面などで助けてほしいとか、パパを心配させないようこんなことに気をつける、というようなことまで含まれていた。

 

読みながら、わたしは声をあげて泣いてしまった。本人がいちばん苦しみ、悩んだはずなのに、そのさなかでこんなに強く、自分の未来を見つめてきていたのだ。毎日一緒にいるからこそ気づかなかった長女の強さに打たれた。

 

学校に行かなくなってから1年ほどのあいだに、長女はどんな思いで日々を過ごしてきたのか。また、わたしは不登校になった思春期の娘の父親として何を考えてどんな行動をおこしてきたのか。次回では、不登校初期をふりかえり、さらに掘り下げて考えてみたい。

 

>>>「いつまでも眠り続けて起きない」娘2人を育てるシンパパ小説家が、不登校の娘からの手紙に「声を上げて号泣した」理由とは?

次回につづく

 

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