竹中半兵衛・黒田官兵衛はなぜ「天才」と呼ばれるのか。戦国合戦で重視されていたのは占い?空から刀を降らせた軍師もいた⁉
戦国時代の「軍師」とは?
戦国時代は多くの軍師が活躍しており、それぞれがお仕えする武将に力を貸していました。その中でも有名な軍師といえば、豊臣秀吉に仕えていた黒田官兵衛と竹中半兵衛ではないでしょうか。加えて、武田信玄に仕えていた山本勘助もよく知られています。特に、黒田官兵衛は2014年大河ドラマ『軍師官兵衛』(NHK総合ほか)で岡田准一が演じたこともあり、この人物を知る人は多いと思います。そして、『豊臣兄弟!』では、今をときめく人気俳優の倉悠貴が官兵衛を好演中です。
当時において、“軍師”という言葉はなく、この言葉が使われるようになったのは江戸時代以降ともいわれています。『軍師官兵衛』や『豊臣兄弟!』を観ていると、軍師の主な役割は合戦における戦略立案だと思い込みがちです。しかしながら、もともと、軍師の主な仕事とは、戦の勝敗の占いが中心でした。今でいうところ、占い師のような役割を担っていたのです。戦国武将たちは合戦に向かう前に三献の儀(さんこんのぎ)を行いました。この儀式は、縁起のよい“勝ち栗”、よろこんぶに通じる“昆布”、そして敵を打つに通じる“打ち鮑”を食べ、酒を飲み交わしました。三献の儀は軍師を中心に執り行われることが多かったといわれています。また、当時、戦国武将は勝敗を占うことを重んじていましたが、軍師は占いや勝利を祈願する儀式を司る重要な役割を担っていました。
そうした中で、官兵衛、半兵衛、勘助のような合戦において戦略を企てる軍師が出てきました。 勘助は築城術や戦術の立案に優れていましたが、それに加えて出陣の吉兆を占う役割も担っていました。武田信玄は勘助の占いの結果を信じ、出陣のタイミングや方向性を決めていたと伝えられています。一方、勘助より約50年後に生まれた官兵衛と半兵衛は新世代の軍師です。伝統的な占いよりも、現実的な戦略立案を重視した点が特徴的でした。ただし、官兵衛・半兵衛が活躍した時代でも、武将たちが占いを全く信じなくなったわけではありません。天下を握った徳川家康も、天海の占いを重んじていたといわれています。
■竹中半兵衛と黒田官兵衛は、ライバル?同士?師弟関係?
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