竹中半兵衛・黒田官兵衛はなぜ「天才」と呼ばれるのか。戦国合戦で重視されていたのは占い?空から刀を降らせた軍師もいた⁉
戦国時代には軍師を育成する学校があった
日本でもっとも古い学校は、足利学校(現:栃木県)といわれています。足利学校は戦国時代における最大規模の学校であり、3000人以上の学生が在籍していました。この学校の有名な卒業生といえば、徳川家康の相談役であった天海(あまうみ)です。
当初、足利学校における主な学習内容は儒学でした。しかし、いつの時代もカリキュラムは社会情勢や時代のニーズによって変化するものです。戦国時代は、“戦いに勝つための方法”が何より重視されていたため、兵学や易学(占い)、天文学、医学が主な科目でした。そして、時代を問わず、エリート校の学生を雇用側は欲しがるものです。足利学校の卒業生は戦国大名からスカウトされることもあったと伝わっています。ただし、足利学校の学生全員が軍師になったわけではありません。
22話の振り返りはこちら>>史実において秀吉は100人以上の女子どもを串刺し・磔にした!? 本作では大幅に脚色し、命を重んじる優しい秀吉に【NHK大河『豊臣兄弟!』22話】
<参考資料>
矢部健太郎 (監修) 『超ビジュアル! 戦国武将大事典』西東社 、2015年
童門冬二『黒田官兵衛 ー知と情の軍師』時事通信社、2013年
川口素生『戦国名軍師列伝』PHP研究所、2006年
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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