竹中半兵衛・黒田官兵衛はなぜ「天才」と呼ばれるのか。戦国合戦で重視されていたのは占い?空から刀を降らせた軍師もいた⁉
二人の天才軍師、豊臣秀吉に仕えた「両兵衛」
竹中半兵衛と黒田官兵衛は秀吉に軍師として仕えており、互いに同僚関係にありました。二人は“両兵衛”とも呼ばれていますが、半兵衛が病死したため一緒に活動した時期は長くはありませんでした。『豊臣兄弟!』では半兵衛を菅田将暉が演じていますが、実際の半兵衛の容姿は菅田のように貴公子のように美しかったと伝わっています。また、本作では病弱という設定ですが、実際の半兵衛も色白で、病弱だったとも伝わっています。当時としては著しく短命ではないにしろ、36歳という若さで病によって亡くなりました。
秀吉に仕える前の半兵衛は斎藤道三の孫・斎藤龍興に仕えていました。しかし、龍興が政治を怠り、遊びにかまける姿を見て、主君に愛想を尽かしました。そして、わずかな手勢だけで本拠の稲葉山城を奪取し、その力量を示しました。その後、半兵衛は秀吉の懇願を受け、軍師として仕えることになります。合戦では巧みな陣形と戦略によって幾多の勝利に導き、秀吉の天下統一に大きく貢献しました。
半兵衛が官兵衛と出会ったのは、秀吉の中国地方攻略に出陣したときのことでした。二人は互いの才能を認め合い、親交を深めていきました。官兵衛にとって半兵衛は息子の命の恩人でもあります。官兵衛が有岡城の土牢に幽閉されている期間中、半兵衛は官兵衛の息子・松寿丸を救出しました。人質として差し出されていた松寿丸は、信長の勘違いにより、殺されかねない状況にあったのです。官兵衛が解放された頃には、半兵衛はすでにこの世を去っており、息子を助けてもらったお礼を直接伝えることは叶いませんでした。
■不思議な力を持つ軍師もいた⁉
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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