「更年期は、これから迎える老化の予行演習だと思います」。美容ジャーナリスト・小田ユイコさんがたどりついた暮らし方は

オトナサローネは同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています(ご本人の年齢や各種の数値は取材時点のものです)。

 

今回は美容ジャーナリスト・小田ユイコさんがご登場。華やかな美容の世界は、いっぽうでスケジュール・プレッシャー・業務量、どれをとっても極めてハードな世界。そんななか、小田さんはどのように自分の体調の変化とつきあってきたのでしょうか。

 

前編『57歳「更年期が終わったあと」には何が起きますか?美容ジャーナリスト・小田ユイコさんの場合は』に続く後編です。

 

お話/小田ユイコさん

1965年生まれ、57歳。日本女子大学文学部卒業、主婦の友社に入社し、女性誌の編集者に。1998年、主婦の友社を退社し独立。美容ライターとして、女性誌各誌の美容記事の編集、ライティングに携わる。2005年、集英社のビューティ誌『MAQUIA(マキア)』創刊エディターに。2008年より、美容ジャーナリストとして仕事をスタートする。集英社『MAQUIA(マキア)』『LEE(リー)』『eclat(エクラ)』『BAILA(バイラ)』、世界文化社『家庭画報』ほかで美容・健康特集を執筆。女性誌各誌で美容コメンテーターを務め、自身の美容術も披露。

 

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【100人の更年期#96】後編

「いよいよ本格的な更年期に入った」。最初に感じた変化は「気力の減退」だった

50歳、閉経間近、旅行に出るのがおっくうになっていたころ。夫の誘いでようやく京都の紅葉狩りへ。

「いちばん覚えているのは、一気に気力がダウンしたことです。40代に入ってからずっと、疲れやすさは続いていましたが、それまではなんとか気力で乗り切ることができました。でも突如として、それが『もうどうでもいい、仕事やめちゃおっかな、やめられるんならやめよっかな』という気持ちに変わったのです。そして、何よりそう思う自分にびっくりしました」

 

仕事そのものは20代からいままで一貫して「好きで好きでたまらない」という小田さん。しかし、このころ急激に仕事以外の外出が減りました。ご主人や友人との外出だけでなく、出かける気力がなくなったことで大好きだった一人旅も激減したといいます。

 

「ふと気づくと、あれ、私ずっと旅行してないな。夏休み何しようかなと思ってもしたいことが思い浮かばない。48歳ごろから徐々に、そんな変化が起きました。51歳の夏休みにはそれが極まって、秋にちょっと長い休みをとったのに、どこにも行きたくなくて、ずっと家にいたんです」

 

いっぽうで、仕事以外の生活習慣は大幅に改善しました。自律神経が危険と言われた38歳時点で加圧トレーニングをスタート、ほぼ週1ペースで続けていたことに加え、このころはランを始めていました。また、夜11時には寝て、朝4時5時に起きるという生活のペースもでき上がっていました。

 

「仕事の量も少しコントロールを始めました。私、本当に仕事が大好きで、いちど手をつけると自分の限界までやりたい。でも、それまで自分のキャパ150%で続けてきたものを、このころに100%にしました。これは大正解でした。おかげで運動をする時間もできたし、趣味のピアノも弾けるようになりました。料理にもよりいっそう手をかけるようになりましたし」

 

小田さんは40代後半から血圧が高めになってしまいました。女性ホルモン減少に伴う高血圧、脂質異常症はよく起きる変化ですが、血管が気になったという小田さんはこのタイミングで食事内容のコントロールにも着手。朝昼晩バランスよく食べるいっぽうで糖質を減らし、野菜とたんぱく質を積極的にとり、食べる順番もサラダを先に食べてゆで卵、スープの順にするなど工夫をこらしたそう。

 

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