【東海道10番めの宿場町】は①箱根②浜松③小田原のどこ?【オトナの歴史クイズ】

江戸時代の主要陸上交通路で、江戸(日本橋)を起点とした五つの主要な街道は「五街道」と呼ばれており、「東海道」「中山道」「甲州街道」「日光街道」「奥州街道」をさします。このうち、江戸を起点に静岡などを経由して京都へ至るのが東海道で、「品川宿」から「大津宿」まで53の宿場町がありました。

東海道10番目の宿場町はどこ?

① 箱根宿

② 浜松宿 

③ 小田原宿 

10番めはあの温泉地

正解は「① 箱根宿」です。

 

江戸と京都の間は487.8キロメートルほどの距離がありました。いまなら東海道新幹線(のぞみ号)で東京駅から京都駅までは2時間ちょっとで行けますが、当時は主に徒歩での移動でしたから、宿場町には多くの旅籠(はたご、旅館)が存在していました。なお、現在の国道1号線がほぼ東海道に一致しています。

東海道にはたとえば箱根峠などの難所もあり、宿場町はそれぞれの特徴をもった町でした。その様子を描いたものが歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の浮世絵の名作「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」で、1832年ごろに制作されたといわれています。広重の生き生きとしつつ日本趣味にあふれた筆致は西洋の画家たちにも影響を与え、中でもゴッホによる模写「雨の大橋」はよく知られた作品の一つです。

さて、東海道の中でもっとも旅籠の数が多かったとされる宿場は宮宿(熱田宿)で現在の名古屋市熱田区、つまり宮とは熱田神宮のことです。ここにあった旅籠はその数247軒とダントツでした。また、対岸の桑名宿(三重県桑名市)にも120軒と多くの旅籠がありました。この2つの宿の間はこのころ「七里の渡し」という海路を使っていくことが多かったため、必然的に旅籠の数が増えたものと思われます。

そのほかに大きな祝だったのは岡崎宿(愛知県岡崎市・100軒)、小田原宿(神奈川県小田原市・95軒)、三島宿(静岡県三島市・74軒)などでした。小田原宿には小田原城が、三島宿には三島大社があったことがその理由でしょうか。

毎年お正月に大学生たちが躍動する「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」では、東京~箱根間の10の宿場、110キロ弱を数時間で駆け抜けているわけです。本来ならば途中で宿泊しながら歩いてゆくものですから、その速さには驚かされます。そんなふうに走る必要はありませんが、もし機会があればどこかの宿場町の間をすこし歩いてみませんか。当時の面影を残す建物が残っているところもあり、江戸の旅の情緒を知ることができますよ。

 

【参考】東海道のいまむかし(国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所) http://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/02_ima/index.htm  箱根町観光協会公式サイト https://www.hakone.or.jp/

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