ルー大柴、「消えた芸能人」寸前で出会えた奇跡のお相手は
英語を交えたトークとアクの強いキャラクターで90年代の芸能界を席巻。その後の低迷期を経て再びブレイクを果たしたルー大柴さん。現在は茶道師範の顔も。浮き沈みの激しい芸能界で唯一無二の個性を放つ、その生きざまに迫る。
51歳で出会ったマネージャーは
私の再ブレイクの
「縁の下のマッスルマン」
「トゥギャザーしようぜ!」「寝耳にウォーター」など英語交じりのトークとハイテンションな芸風がもち味のルー大柴さん。一方で近年は、茶道の師範「大柴宗徹」として、茶道の魅力を広める活動もしている。
「私が長年やってきたルー大柴というキャラクターはアクティブな『動』の部分です。でも当然、私の中にも『静』の部分がある。茶道は『静』の私に戻してくれる感じがします」
和服を着て、美しい所作で静かにお茶を点てる。茶人、大柴宗徹のときには「動」のルー大柴の姿はない。ルーさんが、茶道を始めたのは52歳のとき。そこに至るまでに、「まさにマウンテン(山)あり、バレー(谷)あり」の道のりがあった。
80年代末から90年代にかけて、ルーさんはバラエティ番組やCMに引っ張りだこだった。押しの強い欧米かぶれのキャラクターは、バブル末期の時代の空気にもマッチしたのだろう。しかし、濃すぎるキャラが次第に飽きられたのか、ルーさんいわく「ウインター時代が到来」。役者として舞台の仕事はしていたものの、テレビからお声がかからなくなり、世間では忘れられた人になりつつあった。「ウインター時代」が10年近く続いた頃に出会ったのが、マネージャーの増田順彦さんだ。
「『今のままの芸風では、ルーさん60歳までもたないですよ。もう一度チャンスをつかみたいなら、今のルー大柴を捨てたほうがいい』と増田に意識改革を促されたんです。一回り以上も若いマネージャーに言われて最初はムッとしましたよ。ただ、仕事がダウンしてきて私自身もどういう方向で行けばいいのか、どう道を拓けばいいのか迷っていた時期だった。ある程度ベテランになると、周りは厳しいことを言わなくなるんですよ。でも増田は私を再生させるためにガツンと言ってくれた。よし、今後の仕事の判断を彼に任せようと、私も腹をくくりました」
増田さんに勧められて始めたブログは、英語交じりの独特の言い回しが「ルー語」と称され、ルーさんの全盛期を知らない若い世代にも支持されて再ブレイクのきっかけとなる。続いて発売した、エコロジーをテーマにした歌「MOTTAINAI ~もったいない~」はNHKの「みんなのうた」で放送され、話題を呼んだ。
「同時期に増田から『ルー語をしゃべるだけじゃない、ルーさんのもう一つの柱となる、何か新しいスキルを身につけませんか?』と茶道を提案されたんです。茶道? 子どもの頃に姉が点てたお茶をお遊びで飲んだぐらいの経験しかない私が? とりあえず一回体験に行ったのが運の尽き。いや、ラッキーでした」
気になる「ルー大柴さん」記事の全編は発売中の『ゆうゆう』2021年3月号(こちら)に掲載されております。
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【プロフィール】
るー・おおしば●1954年、東京都生まれ。高校卒業後、欧米を放浪。77年に俳優としてドラマデビュー。80年代末からタレントとして英語交じりの話術を使う独特のキャラクターで人気を集める。役者としても舞台を中心に活動。50代から始めたブログにより「ルー語」が若い世代にも支持され再ブレイク。2013年に茶道・遠州流師範に。茶人、大柴宗徹として活躍の場を広げる。
撮影/園田昭彦 取材・文/村瀬素子
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