もしも身近な同僚が亡くなったら。住職が伝えたい3つのこと。
「密葬」「家族葬」など、葬儀の形態が変化しています。同じ会社に勤める方が亡くなっても、「家族葬にするのでお手伝いも参列も不要です」、ということもあるでしょう。
こうしたかかわり合いの変化とともに、私たちが従来葬儀を通して体験していた「死を受け止めるプロセス」も変化しています。
突然直面するこうした死について、住職が伝えたいことがあります。
自分の会社で亡くなった方がいるなら
私からのアドバイスは3つです。
1 会社の知り合いの死に関心を持たず、その事を避けてはいけない。
2 お別れの会を開くのに躊躇しない。
3 自分に何かできたのでは、と考えすぎてはいけない。
会社のように多くの人が集まっていると、悲しいことに若くても亡くなってしまう人がいます。
その原因は様々でしょうが、身近であればあるほど、そのショックは大きいものです。
そんな時に、例えば直前に気まずい対応をしてしまったような人だったら、あなたは、どうしますか?
その方との直前の状況はどうであれ、哀悼の意を持って、その方のことを心に留め置く必要があります。
ある集団の中で、自殺された方がいると、その集団で3ヶ月以内に自殺される方が出る確率は非常に高くなります。
それは、その2人が話したことすら殆どない場合でも起こります。
人の死というのはそれほど、人の心に重くのしかかるものなのですね。
ですから、知り合いだった場合は、なおさら亡くなった方のことを聞いてみるようにしましょう。
「家族葬で」と言われたらどうしたらいいか
最近こまるのが、家族と親類だけで葬儀を済ませます、という場合です。
そんな時は、友達、知り合い同士で「偲ぶ会」なり「お別れ会」なりを開きましょう。
大切なのは、情報の共有です。
「あなたは最後に、どんなことを故人と話をしたのか?」
「何に悩んでいたのか?」
「どんなことが好きだったのか?」
これを聞くだけでも、心が落ち着いてくると思います。知らなかった一面も見えてくることでしょう。
例えば、彼女の悩みに関して、多くの人が気づくことができなかったとしても、それは、あなただけではなかったと、教えてくれる様に感じるかもしれません。
多くの知人と話をすることで、死を受け入れられるようになるものです。
話をすればするほど、自分に何かできたのではないかという思いが
そうやって、みんなと悲しみを分かち合うと、自分の存在に意識が向く人がいると思います。
“仕事がとても辛かったなら、なぜあの時、「もうちょっと頑張ってみたら」って言っちゃったんだろう”
自分にもっと何かできたんじゃないか、もっといいアドバイスがあったんじゃないかと悩む方もいることでしょう。
これはすごく大事なことで、あなた1人が彼女の死に関わっているのではないと感じることが必要です。
その為にも、少し多めの知り合いと話をする場所を設けることは大事なのです。
亡くなった方が思い描く世の中は、みんなが活き活きと暮らしている世界なのではないでしょうか。
その為にも自責感と無力感に支配されることのないよいに、みんなで冥福を祈る場所を設けることが残された我々にできることなのです。
村社会から会社へ
戦後の日本は、村社会であった習慣を会社に移すことで安心を確保してきました。
年100年も農村で培われた心が、そう簡単に変わるはずがありません。ですから会社で運動会をし、冠婚葬祭も皆んなでやるという村社会を移した機能が備わっていました。
それが、現在は、そう言ったことが無くなってしまいました。
村八分というと冷たい言葉の様ですが、本来の意味は、10のうち2分は、どんなことがあっても付き合うという村の掟だったのです。
その2分が火事と葬儀でした。
これだけは、皆んなで力を合わせてやるということです。
普段付き合ってなくてもです。
それは、やはり人の死を乗り越えるのに2〜3人ではできないということなのではないでしょうか。