岩井志麻子 ミーハー全開「きゃーきゃー」している女たち

2017.05.02 LIFE

恋することは多かれ少なかれ、理性的な人も普通の人も何かしら言動がおかしくなってしまうものだ。

男の場合はまず「やりたい」ありきだが、女だとときめきたい、いちゃいちゃしたい、二人の物語を作りたい、つまり総称すれば「きゃーきゃーしたい」となる。
しかし相手にきゃーっとなったとき、「自分の片思いかな」「でも、あっちもちょっとは気がありそう」くらいの自覚や客観性がある場合は、狂いや誤差は修整できる。本当にあちらも思ってくれている場合も多々あるからね。

ヤバいのは「相手の方が強く私を好きなんだ」と思いこみ、「あなたが求めたから応えてやってるだけ」となってしまうことよ。高じればストーカーや犯罪者になる。会ったこともない芸能人や有名人にそれをやるようになったら、完全に心の疾患だし。

純粋な「ファン」はステージが高い生き物

だから、それこそ会ったこともない芸能人や会えるはずもない二次元の登場人物、あるいは何の見返りもなく一方的にこちらが夢中になるだけの物に対し、「私がファンなだけ」「あちらが私を知らなくても、応援するだけで楽しい」といった、純粋にきゃーきゃーすることが楽しみでならない人達はステージが高い。

「あっちから誘ってきた」「私はさほどでもないのに、向こうがこっちに夢中」といったストーカー気質の人達に比べれば、素直にきゃーきゃーいえる人達は自己評価も健全。

「あちらが私を好き」という人達の思い込み、妄想は一見プライドと自己評価が高くモテてきた実績があるように見えて、現実には「選ばれない私」「無視される自分」にたびたび直面し傷ついてきてるのね。それ自体は同情も共感もできるんだけど。

求められる私、ってのを脳内で作りあげなきゃやってらんない状況は悲しい。

 

ミーハー全開な人達は、軽薄ではない

ミーハーな自分を全開に前面に出せる人達は、決して軽薄だったり幼かったりはしない。

妄想の「求められる私」に逃げ込まず、現実の「求める私」を周りにも相手に見られても、素直に目をきらきらさせて「私が好きなの」といえる自信も自身もあるんだから。

女は求められなきゃならないとか、私の方が立場が上でありたいだとか、もちろん自尊心や矜持や美学は必要な場面もあるが。それらに固執しちゃうと顔が険しくなるよ。きゃーきゃーいってる人達って、何であれ楽しそうな顔してるのは傍目にも間違いないから。

 

 

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作家 岩井志麻子

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