コロナ禍に「弱い自分」に直面した。私はこれからどう働き、どう暮らしていくべきなのか

2024.02.06 WORK

「会社での仕事はやりがいがあったけれど、仕事中心に生きてきたから『私らしさ』を問われたときに自分自身の話ができず、危うさを覚えたんです」と振り返る寺本さん。

 

自分自身」を仕事にするため、起業型地域おこし協力隊の制度を活用して地元のUターンした寺本さんに、「自分らしく働く」ことを選ぶまでの道のりを聞きました。

前編『47歳でヨガインストラクターへの転身。「自分らしさ」を求め地元へUターンした女性の「光と影」』に続く後編です

 

だが、働き方を考え直したタイミングでコロナ禍に。「私は大丈夫」が崩れていく

ですが、見事資格も取得し、自分にとって理想の働き方が見えてきた頃、世界がコロナ禍に直面します。身の回りの環境が大きく変わったことから、これまで「当たり前」だった生活が大きく崩れていきます。

 

会社の仕事はフルリモートになり、誰にも会わず家の中で仕事と生活の全てが完結する日々。もともと動き回るのが好きだった寺本さんにとって、これまで「ただ寝る場所」だった家での時間が生活の大変を占めるようになりました。自粛が続く日々で人と会って話す機会も減り、刺激がなくなったことでだんだんストレスが溜まっていきます。

 

「初めの頃は、せっかくだからお家時間を活用しよう!と思って、家の中で出来る趣味としてウクレレを始めてみたり、コーヒーに凝ってみたりして、新しい趣味を始めてみたんです。『家での生活も案外楽しめそう』と思っていましたが、一時的な気晴らしはそう長く続きませんでした」

 

家にいるとついつい間食をしてしまうことから、体重が一気に増加。さらに、長時間のデスクワークと日々のストレスにより持病の喘息が悪化するなど、心身の健康が少しずつ蝕まれていきます。

 

「喘息の悪化により買い物に行くのすらしんどくなってしまったので、コンビニで買ったもので食事を済ますことが増えました。長年仕事人間だったので、『お腹が膨れればいい』と今までも食事の内容にはこだわってこなかったんです。でも、コンビニ弁当屋やパン、パスタばかり食べていたら、小麦アレルギーを発症してしまって。『私は元気だから大丈夫』と思っていたけれど、『いつまでもこのままではいけない』と感じたんです」

 

喘息の薬を飲みながら、なんとか仕事を続けていた寺本さん。次第にコロナ禍の自粛ムードが落ち着き、出社する日も出てきました。当時の寺本さんの仕事は、人材育成のための研修の企画。オフラインでの研修のため、早朝に出勤し会場の設営を行うことも。これまでは楽にできていたことも、在宅仕事で体力が落ちたことにより、思うように身体が動かなくなっていました。

 

さらに、一社目同様に社内組織の再編成が。身体の負担を感じていたところに、仕事のボリュームが増し、喘息はさらに悪化。仕事の合間を縫って病院に通うも合う薬が見つからず、一時は歩くだけでも苦しく、動けなくなってしまうほどに。

 

「なんとか身体に合う薬が見つかって、仕事も出来るようになりましたが、100%元の自分には戻れませんでした。一度大きく体調を崩したことで、無意識に自分をセーブしてしまうようになったんです。今まではできていたことがうまくいかない、もっと仕事がしたいのに身体がついていかない。周りに迷惑をかけることも増えてしまい、モヤモヤが募りました」

 

「また悪化したら……」という怯えから、思うように働けなくなってしまった寺本さん。病院の先生からも「喘息は死ぬ可能性がある病気ですよ」と、働きすぎないよう止められていました。仕事が好き。もっと働きたい。でも、これまで通りの働き方はもう出来ない。一体どうしたら……。

 

そんなタイミングで、久々に地元の福島に帰省した寺本さんは、福島の12市町村が取り組んでいる「起業方地域おこし協力隊」の制度を知ったのです。

 

迷ったら、「動く」方を取る。47歳で地元にUターンし、起業の道を選んだ

南相馬市の海辺でヨガのレッスンをする真弓さん。

「起業方地域おこし協力隊」とは、自治体から与えられた業務を遂行する一般的な地域おこし協力隊と異なり、自分でビジネスをつくって地域を盛り上げていく制度。いきなり起業をするのが難しくても、協力隊として生活のサポートを受けながら、起業に向けた準備ができます。もともと、自然が豊かで身体にやさしく、人とのつながりがある場所で起業したいと考えていた寺本さんにとって、ぴったりな制度でした。

 

当時の寺本さんの年齢は47歳。サポートが受けられるとはいえ、長年の会社勤めを手放し、一人で起業することへの不安はなかったのでしょうか。

 

「不安というよりは、『なんだか面白そうだな』とわくわくしていましたね。働きながら勉強している間に、起業したらやってみたいことや、アイディアがたくさん頭の中に溜まっていました。新しいことをはじめるには不安がつきまといますが、迷ったら、動く方を取るようにしています。一つひとつやっていけばなんとかなるかなって」

 

また、東日本大震災が起きた頃は東京で会社勤めをしていた寺本さんは、当時地元になにもできていない自分にふがいなさを感じていたと言います。ヨガインストラクターになれば、自分のやりたいことで南相馬市にも貢献ができる。また、南相馬市では、起業型地域おこし協力隊の先輩たちが活躍しており、「一人で」というよりは「仲間がいる」という感覚だったことも、寺本さんの背中を押しました。

 

「それに、一社目を辞めた時から「自己紹介ができない」と感じていたんです。仕事が好きで仕事に打ち込んできましたが、自分から仕事を取ったら何もない気がして。二社目でも、コロナ禍によって自分の働き方に疑問を抱くようになり、『自分自身を仕事にしたい』という思いが芽生えてきました」

 

こうして、寺本さんは2023年の4月から「地域おこし協力隊」として南相馬市に着任しました。4〜5月は地域でのつながりを増やしながら、どんなアクションが起こせそうか調査をし、6〜8月は体験会の実施、9月からは市内3箇所で週3回レッスンを定期開催しています。最初は市内の生涯学習センター等を活用していましたが、現在は自分のスタジオを市内にもつために動いているそうです。

 

寺本さんが一番やりがいを感じるのは、一度レッスンに来た方が、今度は家族や友人を一緒に来てくれるなど、レッスンをきっかけに人とのつながりが生まれていくこと。相手の顔が見えて、「体の調子がよくなった」と直接コメントをもらえることが元気の源になっています。

 

一方で、大変だったと振り返るのは集客面。寺本さんが目指しているのは、ヨガでみんなの笑顔を増やし、心と体の健康維持・促進をすること。若い人だけでなく、幅広い年代の方にヨガを広めて行くためには、イベントをやったり、WEBで配信するだけでは情報が行き渡らないのです。

 

そこで、寺本さんは自分でチラシを作って、一軒一軒お家を回ってポスティングをするなど、ゼロから広報活動を行ってきました。「起業」や「ヨガインストラクター」と聞くと華やかない印象がありますが、その裏側では地道な努力も必要なのです。

 

「すごく地道ですよ(笑)!。でも、自分でやったことが、全て自分の成果につながるのはすごく楽しいです。大変なことも、楽しいことも、すべて自分の選択ですから。自分の人生を自分で選べている感覚があります」

 

収入は落ちたけれど、身体の調子のよさと未来の可能性を考えればおつりがくる

 

気になる収入面について伺うと、寺本さんは、企業に勤めていた時よりは収入が落ちたと正直にお話ししてくれました。ですが、日々ヨガのレッスンを提供することで自分の身体の調子がよく、会社勤めをしていた頃よりは心の豊かさがまったく違うといいます。

 

地域おこし協力隊には3年の任期があり、サポートを受けられる期間は限りがあります。寺本さんは今のヨガインストラクターの仕事を「自分の人生を賭けた仕事」にしていくため、まずは事業を軌道にのせるために日々奮闘しています。。福島に来てからは、新鮮な食材やきれいな空気で、持病の喘息も快方に向かっており、身体の調子もすっかり良くなったそう。

 

「会社員の時はお休みの日が待ち遠しかったですが、仕事が楽しいと休みの日も自分から動いてしまうんです。ヨガは何歳まででもできますから、死ぬまでこの仕事を続けていくつもりです。最終的には、『変なバアさんが山奥でヨガをやってる』って言われるような仙人になりたいんです(笑)」

 

そう語る寺本さん。その言葉に嘘がないことは、寺本さんの穏やかな表情が物語っています。

 

「お金よりも、自分の生活や心の豊かさ、そしてヨガを通して出会う人たちのハッピーを追求して、これからも働いていけたらと思っています」

 

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