史実でも仲の悪かった紫式部と清少納言、その「真相」って?歴史的に考えてみるとごもっともなお話【NHK大河『光る君へ』#6】

2024.02.13 LIFE

*TOP画像/まひろ(吉高由里子)とききょう(ファーストサマーウイカ)の初対面のシーン 大河ドラマ「光る君へ」6回(2月11日放送)より(C)NHK

 

紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第6話が11日に放送されました。

 

平安時代の貴族のコミュニティはホンネとタテマエ社会。自分や我が家の勢力をのばすためには、相手の懐に入り込み、腹を探る必要がありました。第6話では平安貴族のタテマエ社会が色濃く描かれており、登場人物たちが勢力拡大をねらって動き出します。また本放送では、まひろ(吉高由里子)とききょう(ファーストサマーウイカ)が漢詩の会で初対面を果たします。

 

まひろに左大臣家を探るように指示した父・為時(岸谷五朗)でしたが、ちはや(国仲涼子)の事件の真相を知った娘の心の傷を心配して、「もう左大臣家の集いには行かないでよい」と伝えます。

まひろ(吉高由里子)と藤原為時(岸谷五朗) 大河ドラマ「光る君へ」6回(2月11日放送)より(C)NHK

しかし、まひろは父の方針転換を受け入れようとはしません。彼女は「父上のよりどころが我が家にとっての敵である右大臣家しかないのは私も嫌でございます」「源とのつながりも持っておかれた方がよいのではないでしょうか」と伝えます。とはいえ、まひろは我が家のためだけではなく、道長(柄本佑)と距離を取るため、そのライバルの左大臣家で間者を続けたいという個人的な思いも内に秘めています。

 

時の権力者である藤原家の子どもたちにも大きな動きがありました。5話までは、弱々しく、悲哀を感じる女性といったイメージだった詮子(吉田羊)。男たちの駒になるばかりで、自分の意思で動くことはほとんどありませんでした。しかし、彼女はこれまでとは異なる強く、凛とした姿で本放送において登場しました。

藤原詮子(吉田羊)と源雅信(益岡徹)  大河ドラマ「光る君へ」6回(2月11日放送)より(C)NHK

 

詮子は帝に毒を盛り退位を促したのは父・兼家(段田安則)であることや、自分は父を信じられないと、源雅信(益岡徹)に話します。その上で、「されど、私は父とは違う力が欲しいのです」と伝えます。困惑気味の雅信に「もうお分かりでしょう。もう私の言葉を聞いてしまった以上、後には引けませんよ。覚悟をお決めなさい」と詰め寄ります。

 

本放送では詮子が雅信に告げた内容は明らかにされていません。しかし、父の手中にこれまで収められていた詮子が一歩踏み出し、彼女自身で考えた企てがこれから始まると予想できます。史実において藤原詮子は奥手の女性でも弱々しい女性でもなく、賢く、陰で道長を支えたと言われています。本作でも詮子は父とは異なる道で、道長を支え、息子・懐仁親王(石塚陸翔)を強く守り抜いていくのだろうと思われますが、彼女の思惑が気になるところです。

 

一方、道長は我が右大臣家が排除される可能性や義壊殿(高橋光臣)が帝を支えることへの懸念を兄・道隆(井浦新)に伝えます。

藤原道隆(井浦新)と藤原道長(柄本佑) 大河ドラマ「光る君へ」6回(2月11日放送)より(C)NHK

若い貴族からの反感を避けるためにも力を行使しない解決策を検討していく方針を示す中で、高階貴子(松谷由香)の提案により漢詩の会の開催が決定。彼女は「漢詩にはそれを選んだ者の思いが出るといいますでしょう?」と、漢詩の会を開く意義を説明しています。

 

まひろとききょう(清少納言)が初対面。ききょうの利発さや物怖じしない振る舞いにまひろ困惑?

まひろ(吉高由里子)と藤原為時(岸谷五朗)、ききょう(ファーストサマーウイカ)と清原元輔(大森博史) 大河ドラマ「光る君へ」6回(2月11日放送)より(C)NHK

まひろは為時とともに漢詩の会に参加することになりました。まひろは後のライバルになるだろう女性・ききょうと偶然にして顔を合わせました。

 

藤原公任(町田啓太)は「今の帝の世の揺るがぬ様」を唐の太宗の治世になぞらえて詠みあげました。道隆は公任の歌を褒め称え、まひろに感想を求めます。まひろが「公任様のお作は、唐の白楽天のような歌いぶりでございました」と述べると、ききょうは「わたくしはそうは思いません」「むしろ、白楽天の無二の親友だった元微之のようなかったつな歌いぶりでした。そうじゃございません?」と言葉を即座に被せました。このときのまひろがききょうに送る視線はやや冷たく、表情もこわばっています。

 

まひろとききょうは自我が強い知的な女性です。また前述のように、まひろはききょうから自分の意見を否定されますが、まひろも倫子さま(黒木華)の会で他の姫たちの意見に散々反論し、自分の意見を率直に述べているため、会での“KY”(空気読めない)ともいえる振る舞いは“似た者同士”とも言えるかもしれません。

 

しかし史実においても、清少納言がヨウキャであるならば、紫式部はインキャと表現されることも少なくないように二人は相容れないと伝えられています。

 

史実では紫式部と清少納言は後宮に入れ違いで入っており、同時期には顔を合わせていません。従って、二人に深い関係性があったとは考えられません。ですが紫式部は清少納言について「利口ぶって漢字を書き散らしている。よく見るとまだまだ足りないところが多い」などと否定的に評価しています。「よく見ると」と書くからには、紫式部は清少納言の作品、枕草子を「読んだ」のでしょう。

 

紫式部は藤原道長の娘である彰子、清少納言は藤原道隆の娘である定子に仕えていました。道長と道隆は対立していましたから、その関係性は反映されていることでしょう。さらに見逃せないのが個人的な怨恨。実は枕草子の中には、のちに紫式部の夫となる藤原宣孝の服装をけなしたくだりがあります。もし紫式部が本当に枕草子を読んでいたなら、この部分がわだかまりになっていた可能性もあるのかもしれません。

 

本放送においても、まひろはききょうの漢詩の会での言動について「利口ぶっている」「え~、〇〇は違うでしょ?」などと思うことがあったかもしれませんね。

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