もしかして流産の原因は「子宮頸がん予備軍」だから?手術が私にもたらした代償とは?
40歳元ファッションスタイリストの子宮頸がん闘病記。前編に続く後編です。
<<【前編】「やはり「9週の壁」は超えられなかった…覚悟はできていたはずなのに」【連載 子宮頸がん日記#17】後編
稽留流産手術後のこと
流産手術後には、抗生剤と子宮収縮薬が処方されました。念のため3日ほどは安静にし、その後は通常通りの生活をして良いとのこと。
赤ちゃんのいない小さな胎嚢を摘出したにも関わらず、皮肉にも依然ふっくらとしている私のお腹を見ると虚しさと悲しみがこみ上げます。生理痛のような鈍痛が、自分の身に起きたことをわざわざ再認識させます。生理5日目のような少ない出血が1週間ほど続きました。
30才後半の流産率は、2〜3割ともいわれているので、妊娠3度目の私が流産するのは不自然ではないかもしれません。
でも、もしかしたら子宮頸がん予備軍だから流産したのかもしれない。もしかしたらもう二度と妊娠できないのかもしれない。
あの憎きクリニックの医師が放った言葉は正解だったのかもしれないと、不安を抱える日々が始まってしまったのです。
<<許せない。妊娠検査で医師から浴びせられたまさかの言葉とは?
稽留流産後の妊活再開は?
年齢や、子宮頸がん疑いということを念頭に置き、出来るだけ早く子どもを授かりたいと思っていた私達。
妊活をすぐに再開しても良いのか聞いてみたところ、手術後2週間は性行為は控えたほうがいいけど、2週間経って体調に問題がなければ妊活を再開しても良いとのこと。
手術した日=生理の日と考えて、そこから2週間後には排卵がきて、さらに2週間後には生理になるというスケジュールだそう。
(日本の場合、1〜2ヶ月は妊活をしないで様子を見て、通常の生理周期に戻ってから再開と指導するクリニックもあるようですが)
基本的に超ポジティブな私。自分に起きる全てのことには何かしらの意味がある、といつも思っています。
今回の流産は、自分がどれだけ子どもを持つことを熱望していたのかを認識する機会となりました。それと同時に、長男と次男を授かり、無事に出産できたことがどれだけ幸運だったのか、改めて感謝するきっかけにもなりました。
また、子どもを持った経験のない彼にとっても、子どもを持つということについて考える良い機会になったと思うのです。
そして、これから妊活を再開して「私達の子どもに会えるのは、いつになるんだろう?」そう考えていた矢先、また新たな展開が私達を待ち受けることに…。
▶▶【つづき】は4月21日(日)配信予定です
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