
「生んでくれなんて、誰が頼んだ!?」夫からの怒声。発達障害児のシングルマザーに。息子の可能性を育めたのは「差し伸べられた手」があったから【体験談】
我が子への心配と、夫婦仲の悪化。「私が、あなたを育てる」
shutterstock
そんな不安と違和感の一方で、結婚から間もなく、美佐子さんはお腹に命を授かります。
「自らの職に幼稚園教諭を選んだくらいですから、子どもは何人か欲しいと思っていました。切迫流産での入院中も、『大丈夫、私はちゃんとあなたを育てるから、安心して生まれておいで』とお腹に何度も呼びかけていましたね」。
この子は私が守る――そんな強い思いで腕に抱いた息子の様子が気になりだしたのは、生後1ヵ月を過ぎた頃でした。
shutterstock
「目が合わないし、笑わない。子どもを相手にする仕事柄、泣き声で何を訴えているのかという予測がつくのに、この子がなんで泣いているのかは、さっぱりわからない。何かがおかしいぞ、と」。
短大の保育科時代に子どもの障害について学んだ経験も手伝って、我が子が1歳を迎える頃には近くの機関に足を運び、発達について相談した美佐子さん。ところが――。
「むしろ怒られてしまったんです。『こんなに可愛い子が、おかしいなんてことはありません。お母さんがそんなこと思っていたら、いけないですよ!』って。私はむしろ息子の障害の可能性を冷静に受け止めていたのですが、それをはなから否定されてしまえば、然るべき支援にもつなげられない。行き詰りましたし、何より、母親失格と言わんばかりの反応にとても傷つきました」。
一方で、その頃既に、美佐子さんの夫婦仲も悪化していました。
「遡れば、夫が結婚したのは、大学を卒業した直後――つまり、彼の仕事ぶりがわからないまま、新婚生活がスタートしたんです。ふたを開けてみたら、家業が厳しい状態にあるのに、しかも妻子を抱えても、夫は真剣に向き合おうとしない。親からたばことコーヒーが買えるくらいの小遣いをもらいながら、安穏としている。そんな生活に耐えきれなくなり、私は実家に頻繁に帰るようになっていました。
孫と一緒に里帰りを重ねる娘をみて、私の父も、業を煮やしたんでしょうね。夫に仕事を融通しようとしてくれました。『裕福とまでは言わずとも、今よりはずっと良くなるはずだ』って。ところが夫は、『そんなことせんでもええやろ』って、ちっとも変わろうとししませんでした。
優柔不断な態度に腹は立つし、このままでは生活もままならない。ついに夫婦で大喧嘩になりました。そうしたら、まだ小さい息子が私と夫の顔をキョロキョロ不安げに見つめながら、大泣きしたんです。普段は人の表情に敏感ではない子が、ですよ。――ああ、絶対にこんなことを繰り返したくない、と思いました」。
shutterstock
こうして美佐子さんは、2歳になろうとする息子と共に嫁ぎ先を飛び出し、隣県の実家に生活の場を移すことを決意。かつてお腹の中の我が子に呼びかけた、「あなたは私が守る」という言葉を体現した瞬間でした。
「正式な離婚に至るのも、息子が『自閉症』という診断を受けるのも、そこから数年後の話です。離婚直前、息子が診断を受けたことを一応夫に報告したら、『障害児を生んでくれなんて、誰が頼んだんや』って言われましてね。『やっぱりこの結婚は止めておくべきだったのだ』と、確信せざるを得ませんでした」。
スポンサーリンク