家康も秀吉も経験した「籠城戦」。餓死者や城下町の悲劇を伴った、力攻めではない戦術の実態とは【NHK大河『豊臣兄弟!』17話】
籠城のための貯え
戦国時代は敵がいつ攻め込んでくるか分からない時代。城に長期にわたって籠城できるよう、水や食糧(米、乾魚、大豆、味噌、塩)、軍需品(矢石、玉薬)、燃料(薪、藁)を十分に確保しておくのが常でした。多くの城は城内に井戸を掘り、飲料水を確保するだけでなく、万一の火災に備える重要な用水源としても重宝されていました。加えて、城内に木を植えておき、食糧が不足した際には木の葉を食べられるように備えていました。
籠城戦における兵の数は戦いによって大きく異なります。人数は一概にはいえませんが、少ない場合は500〜1,000人程度、多い場合は1万人から10万人規模に達することもありました。これだけの人数が1カ月前後から数年にもわたり、城内で耐え抜かなければならなかったのです。籠城中は質素な食生活が基本で、食事は一汁一菜。加えて、大声を上げたり、小唄を歌ったりすることも禁じられていました。敵がいつ攻め込んでくるか、火を放ってくるか分からない緊張状況の中、食事を満足に摂れず、慎重な行動を強いられるのは、さぞかし苦しかったでしょう。
籠城前に城下町は焼き払われる
城の周辺は城下町として賑わっていました。店や民家が建ち並び、国内でも指折りの繁華な場所でした。籠城前、城下町やその周辺の建物をことごとく焼き払い、竹を伐採しました。食糧や攻城具の材料が敵の手に渡るのを防ぐためです。敵が活用できそうなものは根こそぎに排除されました。もちろん、城下町で暮らしているのも商いを営んでいるのも一般の人びとです。戦の備えのためとはいえ、自分の家や店を焼き払われるなど、現代人の感覚では到底許せるものではありません。
◆秀吉と家康が経験した籠城戦の様子は……
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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