家康も秀吉も経験した「籠城戦」。餓死者や城下町の悲劇を伴った、力攻めではない戦術の実態とは【NHK大河『豊臣兄弟!』17話】
豊臣秀吉も徳川家康も籠城戦を経験
豊臣秀吉と徳川家康はともに籠城戦において攻城側を経験しています。1580年、豊臣秀吉は鳥取城に籠城する吉川経家を攻めました。籠兵数は約1400人(雑兵 約4000人)。この戦いでは餓死者が多く出たといわれています。男女ともに餓鬼のように痩せ衰え、「引き出し助け給へ(城から出して、助けてください)」という叫び声が響いていたと伝わっています。
1614年秋、徳川家康が秀吉の息子・秀頼の大坂城を取り囲んだ冬の陣は約1カ月と短期間であったものの、10万人以上の兵が城内に籠りました。家康は坑道掘りや砲撃などを駆使し、心理的にも強く圧力をかけ、城内に籠城する秀頼側に多大な苦しみを与えたと伝えられています。秀頼は家康の圧力に負け、家康の和睦を受け入れました。大坂城の堀の大部分を埋め、真田丸も破却しました。
本記事では、戦国時代における「籠城(ろうじょう)」についてお伝えしました。
▶▶なぜ、市(宮崎あおい)は悲しき決断を下したのか。侍と周囲の人々が抱いたであろう「別の世に生まれていれば……」という葛藤と侍の流儀【NHK大河『豊臣兄弟!』17話】
では、第17話の見どころを振り返りながら、戦国時代の侍の流儀とその周囲の人々の想いについてお届けします。
<参考資料>
稲垣史生『戦国時代大全』 ロングセラーズ 、2016年
川口素生『戦国時代なるほど事典』PHP研究所、2001年
工藤章興『<豊臣秀吉と戦国時代>数字で分析! 豊臣秀吉の三大必勝戦法』学研プラス 、2015年
二木謙一 『図解戦国合戦がよくわかる本 武具・組織・戦術から論功行賞まで』PHP研究所、2013年
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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