「妻は子どもを虐待していた」裁判で平然と嘘を並べる夫…それでも妻が前を向けた理由
モラハラが通用しない裁判という場で
夫が長い年月をかけて植えつけた自己否定を、“本来の自分”だと思い込まされていたのでした。そんなとき、担当弁護士がこう言ってくれました。「相手の陳述書に、ひとつひとつ感情的に反論する必要はありません。証拠のない主張は、裁判官は基本的に重視しません。Tさんは、ご自身の主張に対して、証拠をそろえて提出してください。裁判は“どちらがかわいそうか”を見る場ではなく、“どちらの主張に根拠があるか”を見る場です」
その言葉を聞いたとき、Tさんは初めて希望を感じたといいます。夫のでたらめは、裁判では通用しない。証拠のない主張は、認められない。長い間、「お前の言っていることはおかしい」と否定され続け、自分の感覚さえ信じられなくなっていたTさんにとって、それは大きな救いでした。裁判は感情ではなく、証拠を見る場所。
ここでは、自分が感じてきたことを“なかったこと”にはされない。事実は、事実として扱われる。そのことが、Tさんには何よりも安心だったのです。調停の段階でも証拠はまとめていましたが、裁判が始まってから、Tさんはさらに深く自分の記憶を掘り起こしていきました。
夫の暴言を録音したデータ。日付を書き残したメモ。メッセージのやり取り。当時の手帳。「どうせ無駄だ」と封じ込めていた記憶たちが、“証拠”という形で、一つひとつ丁寧に並べられていったのです。裁判では、感情ではなく、事実を積み重ねることが力になります。
証拠を並べるたびに、Tさんは気づいていきました。
「私は、ずっと苦しんでいた」
「おかしかったのは、私じゃなかった」
そのことを、ようやく確信できたのです。
裁判は、今も続いています。それでもTさんが「離婚して前に進みたい」と思うのは、夫への怒りだけではありません。自分と子どもたちの人生を、自由に生きたいからです。夫のことは、できればもう考えたくない。それでも、“終わり”に向かって、一歩ずつ進んでいこうと思っているのです。
夫と別居してから、子どもたちの様子は大きく変わりました。実家では、毎日のように声を上げて笑っています。人の顔色をうかがう癖もなくなり、思ったことや、わがままも素直に言えるようになりました。
「お腹すいた」
「あれ食べたい」
「眠い」
そんな当たり前の言葉を、当たり前に言える。Tさんは、その“普通”が、どれほど幸せなことなのかを実感したといいます。先日、子どもたちと公園へ出かけたときのことです。走り回る子どもたちの姿を見ながら、Tさんは思いました。
「あの家にいた頃とは、まるで違う」
あの頃の子どもたちは、いつもどこかを警戒していました。でも今は、父親の顔色をうかがうことなく、ただ目の前の時間を楽しんでいるのです。
家を出ると決めてよかった。
離婚すると決めてよかった。
裁判は、これからも時間がかかるかもしれません。それでもTさんは、あの日、幼い子どもたちの手を引いて家を出た自分の決断を、信じていこうと思っています。
子どもたちの笑顔。そして、自分自身が解放されたという感覚。夫の顔色をうかがわなくていい。自分の気持ちを押し殺さなくていい。それが今、Tさんにとって“幸せへ向かう力”になっているのです。
本記事の前編>>モラハラ夫が別れてくれない。「ママ、また怒られてるの?」子どもの変化に限界を感じ、離婚調停を起こしたけれど
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