戦地での傷には焼酎や尿、血止めには馬の糞!? 戦国時代のトンデモ治療と、参戦する戦国武将が庶民よりも長生きだった理由
戦国武将や大名の死は国と家の滅亡を意味する?
戦国時代、戦国武将や大名が病気で倒れたり亡くなったりすると、敵にとってはまさに絶好の機会でした。当然のことながら、“相手方のトップが回復するまで待ってあげよう”なんて考えは浮かびません。むしろ、“今が領地を奪う最大のチャンスだ”と見て、すぐに攻め込むのが当たり前でした。
武田信玄が我が家を守るために、死の間際に四男・勝頼を呼び、「3年間はオレの死を秘密にせよ。その間に軍備を整えなさい」と伝えた話は有名です。勝頼は父の死を3年間にわたって隠し続け、織田・徳川連合軍との長篠の戦いに乗り出していきました。
戦国時代の主な医療行為は加持祈禱
本放送回は「さらば半兵衛」というタイトル通り、竹中半兵衛(菅田将暉)が病死しました。蜂須賀正勝(高橋努)に「案ずるな お主のような ふてぶてしいやつは そうやすやすと死なんわ」と言われると、半兵衛は「ふてぶてしくても 病にかかれば死にまする」と答えていました。半兵衛がふてぶてしいかどうかはともかく、半兵衛のような知恵者で、どのような戦でも勝利に導く戦略家でも、病を予防することも、病に打ち勝つこともできないのだと改めて思いました。本作と同じく、史実においても竹中半兵衛は播磨攻めの最中に病死しましたが、病名は分かっていません。
戦国時代には、現代において用いられている医学的な病名は存在しませんでしたが、当時の人たちも現代人と同様の疾患に罹患し、苦しんでいました。例えば、伊達政宗は幼少期に天然痘を患い、右目を失明したと伝えられています。また、上杉謙信は脳卒中により亡くなったとする説が有力で、徳川家康の死因を胃がんとする見解を支持する識者も多くいます。
当時は医学が現代と比べて発達しておらず、病気を患ったら修験者(しゅげんじゃ)を呼び、祓い清めてもらうのが一般的でした。当時の治療は神頼みが主流であり、祈祷も効果的な治療の1つとして認められていました。ちなみに、平安時代においては、祓い清めが当時における最高級の医療であり、貴族が病にかかれば、各地から僧侶が呼ばれました。
現代でも温泉は病気や傷の症状を和らげる効果があるとされていますが、戦国時代においても温泉は病や傷に効くものとして重宝されていました。例えば、薩摩国の武将・島津義弘は、吉田温泉(現:宮崎県えびの「鹿の湯」)を積極的に利用したことで知られています。
■戦国時代、戦場で行われていた治療とは
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