「能年玲奈」→「のん」はある意味出家?運気を上げる禅と名前の話
誰しも心に何かの悩みをかかえ、日々何かに迷いながら暮らしているもの。とある臨済宗のお寺の住職さんに教わった「毎日を少し軽くする生き方」のお話しです。今回は「名前」について。
「名前は変わるもの」?
最近ではツイッターなどSNSでの名前をリアルで呼ばれる機会もあり、「もともとの名前ではない名を使う」概念は急速に一般化しています。
仏教の大きな宗派の1つ、禅宗では、修行を始めると、お互いのことを苗字では呼ばなくなるのだそう。
では、どう呼ぶのでしょう。
もしあなたの名前が山田花子さんなら、姓名の名「花子」の1文字をとって「はっさん」に。
OTONA SALONEの編集長は「浅見悦子(あさみえつこ)」、彼女の場合は「えっさん」になるのだそう。
禅宗が生まれた中国では、たとえば玉梅さんという女性なら1文字をとり小をつけて小梅、シャオメイという愛称で呼ぶそうですが、それと同じことなのです。
この記事のタイトルでは能年玲奈さんを挙げましたが、禅宗で言うなら「のん」ではなく「れっさん」や「なっさん」になるというわけ。
愛称やブログ名だけを変えてみる
「出家後に苗字を呼ばない」、これは「それまでの俗世を捨てる」ことにもつながる行為です。芸能人の改名もお仕事が順調なときではなく、イメージの変更など本人の「運気」を変えるタイミングで行われます。
こうした名前変更の歴史的代表例が戦国武将。幼名と成人してからの名前が違います。
ちなみに、出版業界でも、まったく新しい氏名で執筆する「ペンネーム」のほか、「戸籍名をひらがなやカタカナに変えて表記する」「名前だけをローマ字表記する」など、名前の変更はカジュアルに行われています。著者だけでなく、編集者が変更するケースも周囲に多々あります。
例えば山田花子さんが「やまだ はなこ」になればやわらかくほっこりした印象に、「hanako」ならよりシャープなイメージに変わります。
そう、自分の過去を背負っている名前を自分の意思で変更しても「よい」のです。
仏教界ではよくあること
とはいえ戸籍名を変えるのは法律の手続き上も大変なこと。ですが、「名乗り」を変えるのは個人の自由です。
たとえば、ブログの表記名、会社でのネームプレートの表記、公的書類以外に自分の名前を書くシーンで積極的に変更していくのは自分の運気を自分で好転させる大きなきっかけになるでしょう。
この話を聞かせてくれたのは、神奈川県・伊勢原市の能満寺住職、松本隆行さん。もともとは「たかゆき」ですが、出家後は「りゅうこう」という読みで、僧職から呼ばれる場合は「りゅっさん」だそうです。
「このように名前の読みが変わるだけで、自分の負の部分を引っ張らなくて良い感覚になるのは不思議です」と笑顔でコメントしてくれた「りゅっさん」は、ただいま連載の準備中。今回の「名前」の話についても、こんな話を聞かせてくれました。
「姓」ではなく「名」を呼ばれる文豪の違いとは?
—- 突然ですが、文豪の話をします。太宰治は、ペンネームの苗字側で「太宰」と呼ばれます。「治」じゃないですよね。
いっぽう、夏目漱石は「漱石」、正岡子規は何で「子規」です。
なぜなのでしょう。
それは、漱石も子規も「号」だから。つまり、苗字のない「号」として名前として完結しているからです。
夏目漱石の本名は金之助。養子に出されていたので、しばらく夏目姓に戻れなかった。そのような背景もあるかもしれません。
ちなみに、漱石は満49才でなくなり、今年2016年12月9日に没後100年を迎えます。その戒名は
文献院古道漱石居士
「号」である「漱石」が使われています。これら戒名の話はまたいずれ、どこかでご説明しましょう。
漱石の3歳年下で、禅を世界に広め、ノーベル賞候補にも挙がった仏教学者、鈴木大拙は、鎌倉の円覚寺で漱石が来るのを迎えました。その様子は小説『門』で伺うことができます。
鈴木大拙も本名は「貞太郎」でしたが、仏門に入って「大拙」という名をいただきました。
不思議なことに今年は、大拙が亡くなって50年の年でもあります。
名前と人のご縁についてあれこれ考え始めると、いろいろな不思議を感じます。
連載では、そんな日頃の気づきをお伝えしていきたいと思っています。
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ちなみに、この「りゅっさん」も登場する新書がポプラ社から発売されています。日々疲れたこころを仏教に触れて溶きほぐしたい人、ぜひ手にそってみて。
(お話し/能満寺住職 松本隆行さん)
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