岩井志麻子「オバサン」と言われる女「お姉さん」と言われる女の違いとは?
新元号・令和が明日から始まるというのに、平成どころか昭和の話をしてしまうけど。私が子どもの頃は、オバサンと呼ばれたくない、と悩む熟年女性、主張する妙齢女性はあんまり身の周りにいなかった気がする。
30代からはオバサンと言われた
岡山の田舎だったから、というのを差し引いても、小学生の頃、参観日に来ていたお母さん達は思い出の中でみんなオバサンだ。考えてみれば昭和の田舎で小学生の母親なんだから、だいたいみんな三十代、中には二十代もいたはず。でも、みんなそろってオバサンだった。
そして私達は、お姉さんに見えるお母さんが欲しいなんて思わなかった。それは、オバサンが立派な人達だったから。偉い大人の女イコールオバサンだったから。だから子ども達も、オバサンになりたくない、ずっとお姉さんでいたいなんて思わなかった。
むしろ、いつまでもお姉さんと呼ばれたがる女を奇異な者として見ていた。「お姉さんじゃないのに、どうしてお姉さんぶってるの」。言葉にはしなかったが、なんだか可哀想でもあった。
“妙な若作り”は悪循環
というのも、妙な若作りをしている本人に向かっては、みんな「若いわ」「その歳には見えない」なんていってやるのに、陰では哀れみ、笑いの対象にしていたからだ。「この人は若く見られたいんだ」というのがあからさまだと、その自意識、努力やがんばりに対し、ねぎらいの意味で「お姉さんに見える」といってあげる。
それを本人は本当に若く見られてる、と思ってしまう。悪循環、という言葉を初めて知った子ども時代。堂々たるオバサンを貫く女に対しては、そんなお世辞もいわない代わりに、陰口も叩かなかった。
「オバサン」が悪口にならないために
本人がキリッとオバサン然としてたら、オバサンてのは悪口にならないのだ。今現在、いい歳してお姉さんと呼ばれたい女は、微妙な若作りではなくダイナミックに実年齢からがガバッと三十歳くらい差し引いた格好や振る舞いをすればよろしい。
みんなもはや畏怖の念に打たれ、娘さんに見える、というしかなくなるから。そこまでつきぬけてくれたらもう強い個性や独自の存在になっちゃうんで、へたな陰口も叩かれなくなるよ。幾つになっても、「お姉さん」て芸名のキャラにしてもらえる。
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