54歳、離婚後5年寝たきりの鬱と乳がんを経て健康を取り戻すまで【100人の更年期#11】
一般に、閉経の前後5年を更年期と呼びます。日本人の閉経の平均年齢は50歳なので、45-55歳の世代は更年期に当たる人が多いもの。身体の不調に苦しみ「更年期障害」の状態に至る人もいます。
初潮を迎えた人ならば必ず誰しも迎える閉経、そして更年期ですが、面と向かって「更年期の具合はどう?」とは話しにくいものです。
私ってもう更年期なの?
みんなはどうなの?
この状態、もっとひどくなるの?
主婦の友社オトナサローネ編集部は、ごく普通に日々を暮らす同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています。
今回は、オトナサローネでも月に1回「ウォーキングは人生」というテーマで連載を続けている櫻田千晶さんが登場。
仙台をメインに東京でも活動する櫻田さんですが、その人生は「離婚後、原因不明のまま5年寝たきり」「乳がんから生還」と波乱万丈です。では、どうやって乗り越えてきたのでしょうか(年齢は取材時のものです)。
【100人の更年期♯11 櫻田千晶 54歳・ウォーキングスタイリスト】
プロフィール 54歳、札幌出身。モデル、ミス立川を経て22歳で結婚、活動拠点を仙台へ移す。25歳で長女、29歳で長男を出産。 26歳でウォーキングスタジオの経営を始めるが、30歳から原因不明の腹部の痛みに苦しみ、 32歳で離婚後は抑うつの状態に。育児をしながら5年間寝たきりの引きこもりを体験する。
ある日突然、街を歩く女性の姿勢の悪さに気づいてしまう
私は高校のときモデルの活動をスタートし、20代前半はタレント・モデルとしてお仕事をしていました。
ですが、26歳のある日、地元仙台を車で移動している最中、信号待ちでふと窓の外を見て、気づいてしまったのです。
行きかう日本の女性たちのあまりの姿勢の悪さに。
猛烈な衝撃を受けて、その勢いでウォーキングのスクールをオープン。これが私の20代のダイジェストです。
30代、夫の浮気、32歳で離婚。襲いかかる原因不明の腹痛
もともとモデルとして歩くことが大好きだった私には、ウォーキングは天職。30歳まで教えていました。
が、ある日これもまた突然、夫の浮気が発覚。そして、それから半年後、31歳で突然体調を崩しました。
この体調不良も突然襲いかかってきました。
それまで生理痛すら経験したことがなかったのに、下腹部が痛いかな…?とある日気づきました。
すると、日を追ってどんどん痛くなり、あれよあれよという間に、押すと痛い、押さなくても常に痛い状態に。
自転車どころか車の揺れすら痛くなり、半年たらずで原因不明のまま一歩も歩けなくなりました。
どれだけ検査をしても原因はわからず、子宮膣部びらんとの診断を受けてレーザー治療もしましたがダメ。鎮痛剤を飲めばかろうじて痛みは収まりますが、薬の効果が切れるとすぐにまた激痛。
そんな日々を送ったあと、32歳で離婚しました。
当時子どもは小学校と幼稚園でしたが、根性でお弁当を作り、送り出したあとはずっと寝たきり。一日部屋着のままで、玄関の外には出られず、最低限の家事だけしてベッドに寝ていました。
そんな自分が情けなくて、辛くて、痛みもしんどくて、私はよく泣いていました。
泣くときは子どもが寝てからと気をつけていたつもりですが、あとになって子どもが「私が小さいころお母さんはずっと泣いていたね」と言いましたので、バレバレだったんですね。
恨みが痛みを作る。死ぬことしか考えられない日々
男性に対する恨みって、子宮にくるそうですね。私の夫は人の悲しみ、つらさを理解できない人でした。
「好きな人ができた」と言って突然いなくなったロクデナシだけど、恨まないでおこう、自分の中で押さえておこうと、私は必死に自分をごまかしていました。その気持ちが子宮の痛みに出たんだなって思います。
32歳に始まった激痛は、ピークだけでも3年続きました。
痛いと、人は不幸になります。痛みって、ひたすら辛い。
当時はもう「死ぬこと」しか考えられず、寝ても醒めても24時間どう死ぬかで頭がいっぱいでした。
よく、自死してしまった女性について「どうして子どもを残して死ねるの」って言う人がいますが、逆なんです。
「自分なんていないほうが子どもも幸せだ」と考えるんです。
回復したあとならわかりますが、当時は自分が抑うつ状態とは気づいていませんでした。でも、典型的な抑うつです。
寝たきりなので筋肉もガタガタに落ちました。気力がさらになくなり、絶望感にさいなまれます。
ひたすら死に方を考え、子どものために自分に1億円の保険をかけました。でも、途中で規約が代わって、保険支払までの期間が3年になってしまった。えっ、私、死ねないじゃん……とさらに絶望したときに、皆さんもご存知のウォーキングドクター、デューク更家氏と出会いました。
デューク氏と出会い、運動することで健康を取り戻す
31歳で寝たきりになってすでに4年たっていましたが、昔の私の生徒さんが「健康になれるウォーキングがあるよ」と教えてくれたんです。人のご縁は本当に大切なものですね、私が寝たきりだと聞いたデューク氏が「なら俺が行ったる」と東京から仙台まできてくれました。
ちょうど腕のいいヒーラーに出会い、ヒーリングを受けてめぐりがよくなったこともあるのでしょう、ある瞬間から突然立てるようになりました。
そこへデューク氏がレッスンしてくれて、「櫻田さんは歩くために生まれてきた人やね。東北と北海道のレッスンを任せる人を探してたんだけど、僕と一緒にやらへんか?」と言われました。
デューク氏はレッスンで、歩くことだけではなく、身体の生理学的な要素やリンパのめぐり、全身の動かし方までを教えます。
きれいに歩くためには筋肉も必要だけど、いきなりお腹ひっこめてといわれてもできないでしょう? だから、美しく歩くための体操が40種類ほどあるんです。
月に2回、1日2時間のレッスンですが、私、初回は筋肉痛で寝込んじゃったんです。でも、月2回のレッスンごとにどんどん元気になっていくのが自分でもわかります。ああ、筋肉って大切なんだな、と痛感しました。
そして1年かけて元気を取り戻し、3年たった38歳のときには完全復活しました。
が、これでは終わりませんでした。
突然の乳がん。でも私は「かかる気がしていた」
40歳のとき、義理の妹が乳がんにかかりました。「千晶ちゃんも検診したほうがいいよ」と言われて産婦人科に行ったら、医師に「細胞診では出なかったけれど、僕の経験上これはがんだと思う。この病院だと無理だから大きい病院に行って」と言われました。
検査しなおしたら本当に乳がんでした。
マンモグラフィーに映らない小さな8ミリのがんがふたつ。一説に、乳がんは1年で1ミリ大きくなるとも言うので、自分では30歳で腹痛に倒れたときに発症したんじゃないかなって思っています。
とはいえ、私にとって乳がんは青天の霹靂ではなく「やっぱりきたか」でした。私は運命の神様にこうしていろいろな経験をさせられているけれど、その一環としてがんは経験するような気がしていたんです。
0期の非浸潤がんの場合、取り切れば再発リスクはほぼゼロとされます。が、受診したのが先端医療の医師だったので、全摘出ではなくVの字の部分切除を受けました。
5㎝程度取ったのですが、とにかく麻酔が切れたあとが痛くて、痛くて。
よくもみんな、こんな痛さを耐えるなと思いました。術後は傷口からのリンパ液が1か月ほど止まりません。
ちょっとシャツのボタンが触れたら痛い、スーパーで前の人のバッグが当たったら痛い、腕を伸ばしても痛い、何をしても痛くて、本当に辛かった。このとき、リンパって大切だなと思いました。
48歳で閉経、その後ホットフラッシュが始まった
それまでがあまりにもつらかったから、がんになったとはいえ、その後の人生は順調。48歳で生理が不規則になって、半年でぴたっと閉経しました。
実は32~34歳の寝たきり時代にもちょこちょこと、のぼせる感じがして発汗していました。ショックなことがあるとがーっと血の気が引きますが、あの逆です。そして、閉経後はそれがしょっちゅう起きるようになりました。
でもね、もう私はなんとも思わなかった。すでに運動で健康を取り戻せることがわかっていたので、「きたきた」という感じ。
ちなみに、親子は似るといいますが、私の母は本当に更年期障害がひどく、しかも10年続いたそうです。だから、私も10年かという心づもりがありました。
でも、運動すればするほどホットフラッシュも減っていって、53歳には朝起きるときに一瞬なる程度に。性格もこのとおり、ずっと明るいまま、気分の浮き沈みもなく、イライラもなく、落ち込みもありませんでした。すべて運動のおかげです。
ホットフラッシュが始まったときにはさすがに婦人科を受診しましたが、私は乳がんを経験しているのでホルモン剤は使えませんでした。
実は寝たきり時代の34歳で若年性更年期障害と診断され、ホルモン補充療法も受けたのですが、当時私はホルモンを太るものだとネガティブに思っていて、半年くらいでやめてしまったんです。
飲んだら気持ちもふわっと晴れたから効いていたのに、当時は体重増加がピークで、心が持たず、続けられなかった。
自分が経験したからこそ他者の痛みを感じ取ることができる
東京から仙台の私のスタジオまで通ってきてくれる生徒さんもいます。東京への出張レッスンも定期的に開催しています。私がそうだったように、抑うつ状態でも1年くらい運動をすると少しずつ治って、休職から復職できたりします。
よく「うつむく」は「鬱向く」だと言います。気持ちが沈んでいる人は、腰に手を置いてエヘンと偉そうにする姿勢ができないんです。やってみてください、できましたか? 心と体はつながっているから、もし辛いことがあるなら、ポーズだけでも偉そうにしてみてください。
私、よく生徒さんに「ウォーキングと一緒に心理カウンセリングを受けてるみたい」と言われます。自分が本当に生死の間をさまよう経験を何度もしてきているから、その人の立場になって一緒に考えられるからかもしれない、と思っています。
自分ががんを経験すると、がんにかかった人の気持ちの理解度が違います。こうして気持ちをわかちあえる点で、いろいろな経験はすべてよかったなと感じます。
私は17歳のときに、交通事故で婚約者を亡くしています。身近な人の死も、流産の経験もあります。
でも、離婚も、寝たきりも、がんも、こうした体験のすべてが糧になっています。
何度もこんな人生終わればいいというような挫折をしてきたけれど、でも不思議と毎回立ち直ってきました。だから必ずみんな、立ち直れます。私がいまこうして人の心に寄り添えるのは、自分で悲しみ、痛み、辛さを経て、乗り越えてきたからだと感じます。あなたもきっと、また誰かの心に寄り添ってあげられます。
櫻田千晶
札幌、オーストラリア、東京でモデルを経て正しく歩くことの大切さに気付く。1990 年 ジーンウォーキングスタジオ主宰、現在 airseaウォーキングスタジオ主宰。2012年 ミスユニバース東北大会ウォーキング講師。全国で、直接正しく歩く事の大切さを提唱している。
HP http://www.chiaki-walk.com/
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