リモート女将の奇跡と栄光「あきらめない、でも逆らわない」ゆるいマインドが逆境に勝った
製菓と惣菜製造の工房兼キッチンスタジオを川崎市内に構えて、ケータリングサービスを展開する川村祐子さん。彼女が二度の妊娠と流産から前を向き、自身の店のオープンにこぎつけるもののコロナ禍の荒波に巻き込まれるまでの経緯をお伝えした。『世にも稀なる「リモート女将」誕生までの波乱万丈、パンケーキから始まった』
コロナ禍で店を失う危機から奇跡のリカバリーを経て「リモート女将」として立ち上がるまでの軌道と、今後の野望についてお伝えしたい。
【新しすぎる働き方図鑑#1】
ついに店をたたむ決断?と思いきや、またも救う神が登場する
開業して1年あまりでコロナショック。コロナ禍が続く中でにっちもさっちもいかないまま、2021年の秋になり、開業から3年目にして予想外の家賃値上げの申告。安定しない売上のなかでの痛恨の出来事だった。交渉むなしく折り合いもつかず、残ったのは借金だけ。
「本当に困り果てました。今の店を閉めて出て行って、新たな場所で店を再度オープンするといっても、これ以上借金を増やすのは嫌だったし……。同世代の飲食関係のオーナーに正直に話しをして、具体的に相談に乗ってもらったのですが、家賃交渉は難航したままでした。ひとまず出ていくしかないと腹を括ったときのことでした」
店からほど近いマンションのオーナーと、そのマンションの1階にオープンしているマーケットのプロデユーサー、2人と話をする機会があった。
「彼らはクリエイティブな面白い人たちが集合した面白いマンションを作ろうと計画中だというのです。さらにコンセプトに合うテナントを募集しているという情報を教えてくれました。プロデューサーが手がけた1階のマーケットは、カフェの他に、総菜屋さん、お菓子屋さん、あるいは雑貨を売っているショップなど、いろんなスタートアップの経営者が集まってきて小さいブースを出して営業しています。地域の人が自然に集まるように、ランチやディナータイムに来店されて、出展者もお客様同士も仲良くコミュニケーションができ楽しんでいます」
スタートアップの経営者に対するバックアップは惜しまないというマンションオーナーとプロデユーサーの2人。川村さんは自分がやりたい飲食の店について、熱いプレゼンテーションをした。するとラッキーなことに、必ず入居することを条件に、キッチンと工房の改修費用を工面してくれるという。川村さんのチャレンジ精神が買われて、オーナーからの全面的な協力を得ることになった。
「2021年の11月から準備開始。2022年1月1日からマンションの2階に「THE TABLE PICNIC factory」を新たにオープン。製菓と惣菜の製造業をスタートすることができました。前の店から移転といっても、同じ商圏ですし、ケータリングもこれまで通り続けられることになりました。お菓子は、2人のパティシエに手伝ってもらって作っています。仕事っぷりはプロフェッショナルで、地域のお客さんに好評いただいています」
新しい惣菜・菓子製造業として、流通など卸先を開拓中で、いずれは展開していきたいと考えている。また新しい工房の一部は、キッチンスタジオとして活用し、食育を伝えるための動画撮影や、ワークショップもそこで開催したいと考えているという。
降って湧いて出てきた「リモート女将」、だがそれも偶然の縁だった
2022年春、食の製造販売をリスタートした川村さん。時を同じくして、長崎県雲仙市にある老舗ホテルから「リモート女将」の話を引き受けることになった。リモート女将って……?
「ホテルの女将といっても『リモート女将』なんです。聞いたことないですよね。コロナ禍で将来に不安を抱えていたころ、お店の常連さまが繋いでくださった縁で始まったお仕事です」
常連の一人が親身になって「暇なときに、ひとりで店番しているのは向いてないよね」「BtoBの仕事も好きなんじゃない」と考えてくれた。運よく、長崎県の雲仙市の老舗温泉旅館のオーナーがリニューアルにあたり女性のアドバイザーを探しているという。
「私はすぐに、やってみたいってピンときました。その後すぐに雲仙まで行って社長面接。この旅館にとっての、新しい客層獲得に向けての仕事について、アドバイザーとして全面的に関わってほしいとのことでした。さらにIターンで雲仙に行ってホテルの女将として働くのではなく、仕事はほとんどがリモート。私の川崎の自分の店は続けながら、デュアルで仕事をしてほしいというオファーだったのです。もちろん願ったりかなったりでした。『リモート女将』と命名したことは、旅館の新しい話題のひとつになりました。初めての地方の仕事、リモートワーク、観光ビジネス、ワクワクするほど興味を持てました」
リモート女将といえど、リアルで会議にも出席する。多忙な日々が始まった
すんなりと始まったリモート女将の仕事は予想を超え大忙し。全社員と関わるポジションになり、ミーティングは毎日。月に一度は雲仙まで行って会議に参加する。
「リアルな接客はしませんが、旅館の女将と同じです。料理のメニューについて料理長と念入りな会議もしますし、館内で販売しているお土産のメーカーと商品選定や数量の交渉、客室の予約係、配膳係のなど ホテルサービスの全般に関わっている状況です。それぞれリモートで何度もミーティングして細かいところまで決めていきます。最近は、社員さんからの悩みがLINEで来るようになったので、もちろん丁寧に聞いています」
お菓子と惣菜の製造販売の仕事も軌道にのってきたし、リモート女将も大忙し。二つの仕事は、首都圏と地方、それぞれ独立しているようにも見えるが。
「これまでの食に関わった仕事の視点から、長崎の食材、そればかりか風土や習慣など、土地ならではの特長があってとても勉強になります。二つの仕事は絶妙に絡み合っているように思います。私の飲食店での活動や情報が、雲仙における観光やホテルのサービスに活かせると良いなと考え、また長崎の食材が私の飲食店で活かされることも目指しています。今後はもっと相互に利活用できるようにしたいと願っています」
この、勢いよく転がり続ける生き様の原動力って何なの?
早く社会人になりたいと18歳から社会に出て、40代になるまでの間、ファッションの仕事から食の仕事へ転換して、紆余曲折がありながら行き詰りも少なくない。2度の結婚、流産という辛い経験も。仕事におけるピンチに直面した川村さんを突き動かしてきた決断力と行動力は並大抵ではないが、その原動力となっているものは何か。
「旅行代理店を経営しながら、添乗員として世界を飛び回り、サラリーマンではなく自由に仕事をしていた父の影響があるかもしれません。その姿に憧れて早く社会人になって独立したかったのかな?と今になって思います。でもフリーランスの社会人として自由であった反面、人生の流れに身を任せてきたという感覚は全くなくて。何でも自分で選んで決めてきました。ですから何が起きても、結果的にうまくいかなかったとしても、誰かのせいにはしません。もちろん自分が選んだ道ですから後悔したこともありません」
後ろ向きにならない川村さんの生き方は潔い。転機やピンチが訪れるごとに育まれてきたのだろう。節目における人との出会いが川村さんの人生には欠かせない。川村さんにとって出会いと別れとは。
「辛くて痛い別れもありましたが、決してネガティブではないんです、捨てる神あれば拾う神ありという言葉のとおり、本当に神様はいるのかも?残念ながら別れることになった縁にも感謝できるほど、ご縁に恵まれ助けられて、毎日を楽しく過ごさせていただいています。出会いが私を成長させてくれていると思います」
今後は川崎と長崎の2拠点、そしてデュアルワーカーという働き方を続けていき、本格的に食に通じた発信や積み上げ、これまでの経験に基づいた自分らしさを表現したいという川村さん。「カフェを開きたい夢」について問うてみた。
「お客様と楽しくおしゃべりしながら、ゆったりとコーヒーを淹れるような営業スタイルはあまりに贅沢。ご褒美はもう少し先にとっておきます」
それまでに多くのお客さんとの出会いを大事にしていきたいのだそう。
▶【この記事の前半を読む】「世にもまれなるリモート女将はナゼ誕生したのか?奇跡と偶然の働き方改革」
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