信頼していた相手に「断られた」とき。傷ついた気持ちの対処法

2017.09.03 WORK

仕事を依頼した相手に「断られる」ことはよくある話だ。スケジュールが合わなかったり、内容的に引き受けられなかったり。たいていの場合は断られたとしても、仕方がないと思えるだろう。

しかし、付き合いの長い、頼りにしている関係性の相手に、スケジュールが合わないわけでもなく、仕事内容がその人の得意分野であったりするにもかかわらず「断られた」場合、意外と傷つくものだ。ときには軽く人間不信になったりもする。そんなときのショックな気持ちはどうしたらいいか。自分の経験から改めて対処法を考えてみた。

 

しっかり者で誠実だった彼女

私が軽く人間不信に陥ったのは、まさに、親しい相手に仕事を「断られた」のがきっかけだった。その相手を、仮にXさんとしよう。

Xさんは私が20代のとき健康雑誌にいたアルバイトで、3歳年下の女性。当時、私が25歳で彼女は22歳。しっかり者で誠実だった。それほど年齢差もなかったので、少し立場は違えど親しくなった。Xさんと同じ部署で働いて2年経ったころ、私が女子大生雑誌に異動することになった。と同時に、Xさんもフリーランスライターになるタイミングを迎えた。

 

ふだんの誠実な仕事ぶりを信頼していたので、私はXさんに「女子大生雑誌でライターの仕事をしてみませんか?」と尋ねた。当時の彼女は健康雑誌のお手伝いくらいしかキャリアがなかったけれど、年齢的にも若いしオシャレが好きな雰囲気でもあったので、女子大生雑誌でも活躍してくれるんじゃないかと思ったのだ。

Xさんは「うれしいです。女性誌やりたかったんです!」と、その場でOKしてくれた。

 

未経験の女性誌でよき「相棒」となる

以来、Xさんとは毎月一緒に仕事をした。最初は健康雑誌とはちがう不慣れな女性誌の取材や原稿に苦戦していたと思うが(私もだが)、次第に慣れていき、面白い取材、原稿を書いてくれるようになっていった。

3年後、私はOL雑誌に異動することになった。そのときもまた「今度は異動先のOL雑誌でお仕事お願いしたいんだけど」と尋ねた。

Xさんは「はい、もちろんです!」と、すぐにOKしてくれた。

OL雑誌でもXさんは新たなチャレンジを引き受けてくれ、私にとって大切な右腕ともいうべき存在になっていった。そのころ彼女は私以外の、別媒体の女性誌編集者ともお仕事をするようになっていたが、私が依頼したことは優先してくれて、頼りになる仕事の「相棒」であった。

 

異動により2人の関係性が変わる

その関係性が、変わるときがきた。

OL雑誌の部署で3年ほど経ったころ。突然、健康雑誌へ戻るという辞令がでた。まだまだ女性誌をやっていたかったのでショックではあったが、会社員である以上よほどの理由がない限り辞令は変わらない。受け止めてまた健康雑誌の編集者としての仕事をがんばることにした。

健康雑誌に戻って初めての企画が決まったとき、早速またXさんに「一緒に仕事をしてほしい」と依頼をした。

Xさんは「あとでご連絡してもいいですか?」と、言った。

きっと仕事で忙しいからあとで連絡なのだろう。そう思っていた。が、違った。その日のうちにXさんからメールが届いた。

 

まさかの「やりたくない」という返事

「私は女性誌の仕事をしていたいので、健康雑誌はもうやりたくないんです。すみません」という内容のメールだった。

ショックだった。

もともと健康雑誌のアルバイトからお仕事を始めたXさんだったので、断ってくるとは思っていなかった。ましてや、実はそのときの異動は、私とXさんが健康雑誌にいたときにお世話になった副編集長が亡くなったことがきっかけ。私にとっては望まない異動だったが、お世話になった方へのせめてもの恩返しと受け止めた部分もある。

そんなときだったから……Xさんは一緒に仕事をしてくれると思っていたのだ。女子大生雑誌に異動したときも、OL雑誌に異動したときも、ひとつ返事でOKだった、頼りにしていた相手だったから。

 

断られてショックを受ける

信頼していた相手に仕事を「断られた」。

約6年間一緒に女性誌の仕事をしてきていたのに。Xさんの女性誌仕事へのきっかけは私がスタートだったのに。どうして? 女性誌編集者の私とは仕事するけど、健康雑誌編集者の私とは仕事をしないということ?

私はXさんを「個人」として信頼していたつもりだった。だから、健康雑誌のアルバイトしかキャリアのない彼女を、未経験の女性誌でも一緒にやってほしいと思ってお願いした。そして異動してもその信頼感、関係は変わらずにいた。

Xさんも私を同じように感じていると思っていた。でも……彼女はどんな部署の私でも仕事を引き受けてくれるのではなかった。私の「肩書」が健康雑誌から女性誌への異動のときは一緒にやってくれたのに、女性誌から健康雑誌へ異動したら別れを告げられた。

このショックはしばらく尾を引いた。所詮、私は「肩書」で判断される程度の人間であり、「個人」としての私には価値がない。こちらが信頼した相棒だと思っていても、相手にはそう思われていなかった……。私は軽く人間不信になった。

 

でも「仕方ない」こと

Xさんに仕事を断られたことを仕方ないことだと思えるようになったのは、それから数年して。

私の依頼からスタートした女性誌の仕事だったが、彼女は自らの実力と人脈で広げていった。まさにそれが拡大している、そんなタイミングだったのだろう。自分のキャリア、ポジションを確立しつつあるところに、恐らく本来やりたい仕事ではなかった仕事……元々いた健康雑誌の仕事をすることは、自分が思い描くキャリアプランではない。

だから、自分のキャリアプランを考えたうえで健康雑誌の仕事を断ったのだろう。Xさんの立場に立って本気で考えたら、そんな結論に達した。

そして私自身にも、Xさんのほかにも信頼できる仕事相手をもっとみつけなさいというタイミングだったのかもしれない。同じ人にばかり頼っていちゃいけない、もっと人間関係の幅を広げなさい、という。

 

出会いも別れも「縁とタイミング」

30代前半でこの経験をして良かったと思っている。

仕事で知り合った人は、やはり私の「肩書」で付き合っているのであって、私という「個人」ではない。だが、その中に数人は「個人」と親しくなってくれて、どんな仕事でも引き受けてくれる人がいた。

そんな方々が、私の軽く人間不信な気持ちを解いてくれた気がする。仕事で出会った人のうち、ほんの数人でも「個人」としても親しくできる相手に出会えたのは、幸せなことだったと思う。

人との出会いも別れも「縁とタイミング」。Xさんと私はそのときが縁がなくなる別れのタイミングだったのだろう。そしてXさんとの別れは、新たな縁との出会いをつくるチャンスでもあった。

「私のお願いならXさんは断らないだろう」というのは、私の驕りだった。そして自分自身も……実は相手の「肩書」で付き合っている相手がいることも事実なわけで。

 

縁の終わりは、新しい縁のチャンス

最近またひとつ、これに似たようなことがあった。

10数年前、私が編集長でも副編集長でもないときに、当時の担当者とスタートした縁だった。多くの仕事を一緒にして、親しさが深まった。私が副編集長、編集長になるたびにまた関係性は深まり、その部署から異動して肩書が変わってもそれを維持してくれていた。

でも、つい最近その関係性の変化を象徴する出来事があった。私は次のステージでも一緒にやっていきたいと思っていたけれど、相手はそうではなかった……ということなのだろう。

これも縁とタイミング。

ひとつの縁に終わりがくるときは、また新しい縁がくるチャンス。

信頼していた相手に仕事を断られたり、離れられたりしたときは、そう思うようになった。そして、そもそも「断らない」「縁がずっと続く」と思うこと自体が、驕りの気持ちなのだと。

もちろん、縁の終わりはさみしい気持ちがゼロではない。けれど、縁の終わりは新しい縁がくるチャンスだと思って受け止めるようにしたら、意外と心の傷は浅くて済むようになった気がしている。

 

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