じわじわ殺すのが戦国流!?まるで地獄。目を覆いたくなる残虐な処刑が行なわれていた理由とは?
戦国時代における処刑とは?
現代社会では、罪を犯した者には刑務所で自らの罪と向き合い、深く反省することが求められています。また、極刑であっても判決が確定したからといってすぐに執行されることは稀です。 刑事訴訟法には死刑判決確定後6カ月以内に執行するよう規定されていますが、人の生命を絶つ重大な刑罰であるため、手続きは極めて慎重に進められています。
一方、戦国時代には、罪人を“更生させる” “反省させる”という考え方は存在しませんでした。大きな罪を犯した者の命は即座に絶たれました。特に、謀反人(反逆者)、裏切り者、暗殺者は苦痛を徹底的に与えられた上で処刑されました。当時の主な処刑方法として、以下のものが挙げられます。
・磔(はりつけ)
・逆磔
・車裂き(くるまさき)
・牛裂き(うしさき)
・釜茹で
・水死
・火あぶり
・鋸引(のこぎりびき)
・串刺し
・切腹
これらは恐ろしい処刑方法ですが、諸国の大名は中国の書物から処刑方法を学んでいたといわれています。法律はあってないようなものであったため、大名の一存で刑が決まることも……。
現代日本における死刑は罪人の苦痛をできる限り最小限に抑えるため、即死させる方法がとられています。一方、戦国時代はこれと正反対でした。罪人を長時間苦しめることを目的に、数日~1週間程度かけて殺すこともありました。例えば、鋸引き(のこぎりびき)は竹や粗悪な鉄の鋸で罪人の首をゆっくりと引き切る刑罰です。罪人を地面に埋め、首だけを出した状態にしました。通行人や被害者の家族には鋸を自由に引くことが認められていました。切れ味の悪い鋸があえて用いられましたが、それはすぐに死なせないため。罪人をいかに苦しめるか考え抜かれていたのです。織田信長は自身の暗殺を企てた杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)を捕らえ、鋸引きで7日間かけて殺させました。
また、戦国時代には同盟関係を強固にするために人質制度が広く行われていました。人質は同盟関係が良好な間は厚遇され、衣食住に不自由することは基本的にありません。しかし、同盟が破綻すれば、死刑に処されることもありました。特に、裏切り者は時間をかけて苦痛の大きい方法で処刑されることもありました。切れ味の悪い槍をあえて用いて、時間をかけて刺殺すことも……。
なお、切腹は他の処刑と同様に命を絶つ刑ですが、武士にとっては名誉ある死と位置づけられました。武士としての体面を保てるよう配慮された点では、他の残虐な刑とは大きく異なります。
◆人権意識が低い戦国時代。残虐な刑の背景
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