小林麻耶、あの涙の謝罪に「今なお残る」これだけの家族問題が見えた

若かりし頃、一度くらいは誰かに対して「死ねばいい」と思ったり、口にしたことがあるのではないでしょうか。けれど、40歳をすぎたあたりから、冗談でもこういうことを言いたくない気持ちになってきました。

 

親しい人でもそうでもなくても、好きな人もそうでない人も、とりあえずみんな元気でいてほしい。いい人ぶりたいわけではなく、生きていることが当たり前ではないと気付いてしまうのは老化の一種なのだと思います。

 

ですから、愛する人を失って喪失感にさいなまれている人をネタにするのは、人の悪口を書くことが商売の私も気がひけるのですが。この人を見ていると、のどに小骨がささるようなヘンな感じをいつも覚えるのです。

 

今もなお、亡き麻央の闘病に自責の念を抱く麻耶

2020年4月11日に「母と子のキズナ確認バラエティー 愛情!マザーSHOW」(フジテレビ系)が放送されました。その名のとおり、有名人親子がお母さんとの思い出を振り返ります。

 

フリーアナウンサーの小林麻耶とお母さんが出演し、お母さんに対する感謝の思いを表すとともに、3年間抱え続けていた後悔について明らかにするのでした。

 

麻耶が抱えていた後悔、それは妹・麻央さんの闘病中、麻耶が「バイキング」(フジテレビ系)の本番中に倒れてしまったこと。麻央さんの闘病は当時公表されておらず、家族だけで麻央さんやそのお子さんの面倒を見ていたそうです。

 

麻耶が倒れてしまうとマンパワーが一人減るわけですから、お母さんに負担がかかってしまいます。

 

「あの時、ママにどれくらい心配をかけてしまったかと思うと、今も申し訳ない気持ちでいっぱいです」「悔やんでも悔やみきれません、ごめんなさい」「もし、あの時私が元気でいることができたら、ママの心労を減らすことが確実にできたよね」と消えない後悔を口にしていました。

 

闘病に「家族の健康」が必要な理由とは

いきなり個人的な話ですみませんが、面倒を見る側が倒れるといえば、私の父が病気を宣告されたとき、センセイが母と私にこんなことを言ったことを思い出しました。

 

「お二人は、健康診断は済んでいますか?」

 

は?と思ったのですが、センセイ曰く、家族の誰かが大病すると、家族も具合が悪くなることは多いそうです。

 

その時に「もしかして、私もガンかも……」といって家族も検査を始めると、闘病する本人の面倒を見る人が減ってしまう。なので、まず家族が健康診断をうけて、健康であることを確認した上で闘病にあたってほしい、とのことでした。

 

麻耶の場合、テレビという浮き沈みの激しい、不規則な仕事をしていました。さらにマスコミにかぎつけられないように、年若い妹さんとそのお子さんをケアするのは、肉体的にも精神的も限界だったと想像がつきます。

 

お医者さんも言っているとおり、家族が体調を崩すのはよくあることなのでしょうし、麻耶が悪いなんて誰も思っていないから気にしないでいい

 

……こんな言葉を麻耶は求めていない気がするのです。

 

「敵か味方か」の二極思考をする人に潜むもの

自責の念というと、「自分がリレー大会のアンカーだったが、最後に抜かれたのでチームが負けてしまった」というように、行動により悪い結果がもたらされたことで抱え込む罪悪感を連想する人も多いでしょうが、実際は「認知のゆがみ」が関係していることが心理学では証明されています。

 

たとえば、親が離婚をすると、子どもは精神的なショックから逃れるために「私がいい子じゃなかったから、パパとママは離婚したのかな?」と自分を責めてしまうようになるそうです。こういう思考回路が出来上がると、家族に問題があるたびに「私が悪い子だからかな?」という思いがどんどん強くなっていってしまう。

 

また、判断力のない子どもにとって、親の言うことは絶対です。世の中の森羅万象を「敵か味方か」というふうに極端に分類することを、心理学では“白黒思考”と言います。「チカンにあったのは、あんたがそんな恰好で歩いているから」というように、親が誰かを犯人に仕立ててる思考回路を持っていた場合、偶発的な事件の被害者であっても「自分のせい」と子供は思ってしまうようになります。

 

「自責をする人」に見えるある種の飢餓感とは

そして、もう一つ、これは私が勝手に考えていることですが、「自責をする人ほど、万能感が強い」「自責をする人ほど、愛されたい」のではないかと思っています。

 

どんな人も生きていればミスをしますし、相手の期待を裏切ることはあるでしょう。しかし、そこをいちいち「私のせいだ」と気にしていたら、生きていけない。なので、多くの人は「この線を超えたミスをしてはいけない」とか「相手の期待に全部こたえることは無理でも、最低ここはクリアしよう」というボーダーラインを持っていると思います。

 

そこを「自分はできる、やってみせる!」と思う人ほど、自責も強くなるのではないかと思うのです。それはご本人の能力の問題ではないのですが、自責の思考回路を持っている人は自分の思っていること、見えていることが「真実」だと思いこんでいるので、どんどん頑固になって、他人の話は耳に入りません。

 

また「私のせいで……」と言って自責の念から涙を流せば、周囲は「そんなことないよ」と全力でなぐさめてくれ、かまってもらえるでしょう。「あなたはこんなにがんばったよ」とか「こんなこともしてくれた」といった具合に、ほめ言葉的な言葉のシャワーを浴びせてくれる。

 

こう考えていくと、やはり、自分を責める人ほど、ほめられたい、愛されたい、かまわれたいのではないかと思ってしまうのです。

 

愛されたいがための自責か、それとも反省するべきミスかを見分けるのに、一番簡単な方法は「他人がやったらどう思うか?」と仮定してみることではないでしょうか。

 

母を見る麻耶にもまた、にじみ出ているものがある

麻耶の場合で言えば、「もし、お母さんが妹さんの闘病中に体調を悪くしたら、どう思うか?」で考えてみたら、「お母さんが悪い!」なんて思わないはずです。ですから、これは別に反省すべきことではないと私は思います。

 

お母さんに愛されて育ち、学生時代には男子に毎日のように告白され、「恋のから騒ぎ」(日本テレビ系)でセンターオブセンターを張り、女子アナとなった。ふつうの人の何百倍、何千倍もの愛情を受けてきたはずなのに、なんだかうっすら漂う飢餓感は何なのか。

 

番組中も麻耶は「もっと愛して、もっと私を見て」と言わんばかりに、すがるような眼でお母さんを見つめていたと私は感じましたが(お母さんは案外冷静)、これが単なる気のせいであることを祈るばかりです。