慣れない海外での妊婦生活で暗雲が?体調は順調なのに思わぬ心配ごとが【子宮頸がん日記#3】(前編)

40歳元ファッションスタイリストの子宮頸がん闘病記。子宮頸がんになるまでの経緯や治療法、その時々に思ったことや女性としての生き方などを包み隠さず綴ります。

【連載 子宮頸がん日記#3】前編

バリ島での妊婦生活は?

無事にS病院への里帰り出産が決まり、インドネシアのバリ島で妊婦生活を送る日々。バリにも日本人看護師がいるクリニックがいくつかあります。海外での健診費用は自費になりますが、自分の希望に合わせた健診が可能です。

 

当時のバリのクリニックの妊婦健診は体重・身長(意味ある?)測定、尿検査と血圧測定くらいです。ただ、超音波検査で赤ちゃんを細かく丁寧に診てくれるので、その点はよいなと思いました。クリニックに何人連れて行ってもよいので、家族総出で妊婦健診へ行く人もいるほどです。笑 

 

S病院では体重増加について厳しい指導がありますが、バリでは体重のことなんて誰にもなんにも言われません。

長男の妊娠時は夫に冷められたくないという思いで+5㎏に抑えたものの、次男の時はどうでもよく、最終的に+15㎏。(ちなみに三男の出産時は、太っても可愛いと言ってくれる現夫の言葉に甘え、25㎏増加。さすがに増えすぎ……!?)

 

こんなバリでの妊娠生活ですが、妊娠中に「髪の毛を切ってはいけない」「パパイヤを食べてはいけない」など、バリならではの不思議なルールがありました。そんなことを全く知らずに髪の毛を切った私。バリ人の友人が私の切った髪の毛をかき集め、お祈りをしてから処分していました。

 

ちなみに、子どもが転んで怪我をしたりぶつけたりしたら、その箇所を母親の髪の毛で撫でると早く治るというバリならではの治療法(?)もあります。

 

子どもがしゃべらない原因には心当たりが……

長男は言葉の発達が遅く、こだわりもかなり強い子でした。一言で言うと、育てにくい子。

バリに引っ越したばかりで、友達もおらず、周りにママ友もいない。今のように、インターネットで気軽に情報収集できるような環境でもありませんでした。

 

だから、たとえ長男に特性があっても「子どもってそういうものだ」と思い込んで、成長について悩んだりしなかったのです。

しかし、日本帰国時に行った1歳半健診でひっかかります。(1歳半健診ですが、実際に受けたのは1歳10カ月ぐらいだったのに)保健センターの方にすすめられて、発達相談に行ったりもしました。

 

いろんな絵を見せられて、「これは何?〇〇はどれ?」などと聞かれますが、ほぼ答えられませんでした。唯一、母から一旦引き離し、まっすぐ歩いて母のところに歩けるかというテストでは、爆速で母のもとに走ってきたくらいです。

 

そこで聞かれたのが、家庭内の会話のこと。

相談員:海外在住ということですが、両親は何語で会話してるんですか?

私:日本語です。(夫婦間の会話はないですが)

相談員:そうですか。でもまぁ海外にお住まいとのことで、いろんな言語が混ざって聞こえてきて、言語化が難しいのかもしれないですし、とりあえず様子を見てみましょう。 

ということに。

 

夫婦間の会話は本当になく、離婚寸前は1階と2階で家庭内別居。同じ家の中にいても、LINEで会話(業務連絡のみ)をしていました。LINE会話は「言った・言わない喧嘩」で、無駄な精神的労力を使わなくて済むというメリットもあり。

 

 

当時、子どもがしゃべらない理由は、両親の不仲に伴う日本語の少なさだと悩み、不安な毎日を送っていました。私がなんとかしなきゃと、言葉を話さない・理解していない息子に一方的に話しかけ、終わりが見えない育児に限界を感じたこともあります。

 

特に長男は、寝起きが悪く、昼寝から目覚めて2時間以上泣き続けることがよくありました。抱っこしてもジュースをあげてもテレビをつけても何してもダメなので、ただ横で泣き止むのを待つしかありません。今なら「泣きたいのね、オッケー。じゃあママはここにいるからどうぞごゆっくり」って軽く受け流すことができそうなのに、当時の私にはできませんでした。

 

一度、虐待を疑った警察と近所の方が見に来たこともありました。

「この子、泣き止まない子なんです」って言ったら、いろいろ各自のアドバイスをくれてその時は去っていきましたが、それからは散歩中などによく声をかけてもらえるようになって、うれしかったのを覚えています。

 

ただ、みんな声を揃えて言うのが、「旦那さんは?」

 

この、誰も何も気にせずに尋ねる、「旦那さんはどこにいるの?何してる人?」という言葉は、10年の結婚生活中、私を苦しみ続けたパワーワードだったと思います。

 

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【監修】新見正則医院 院長 新見正則先生

1985年 慶應義塾大学医学部卒業。98年 英国オックスフォード大学医学博士取得(Doctor of Philosophy)。2008年より帝京大学医学部博士課程指導教授。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は乳がん患者に対するセカンドオピニオンを中心に、漢方、肥満、運動、更年期など女性の悩みに幅広く寄り添う自由診療のクリニックで診察を続ける。がん治療に於いては、明確な抗がんエビデンスを有する生薬、フアイアの普及も行う。

https://niimimasanori.com/

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