人生観が変わった瞬間。肺がんで亡くなった父の死が私にもたらしたものとは【子宮頸がん日記#9】(後編)

40歳元ファッションスタイリストの子宮頸がん闘病記。前編に続く後編です。

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【連載 子宮頸がん日記#9】後編

父のがんを知った私は急遽帰国し……

父ががんであると知った翌日、私は日本行きの飛行機に乗っていました。
姉は案の定、父から大激怒され「二度とうちの敷居をまたぐな」と勘当されたそう。

母からは「パパの髪の毛、何もないから驚かないでね」なんて言われ、どんな気持ちで会えばいいのか困惑する私。できるだけ普通にしなきゃ、などと思っていたら、なぜか駅前のコンビニで父に遭遇。

 

私が帰ってくることを聞いた父が、もしかしたら私がいるかもと、駅をうろうろしていたそう。実家のリビングのいつもの定位置に座る父に、何て声をかけようかと心の準備をしていたので、思いがけず自然に会えたことに拍子抜けしたのでした。

 

予想以上に元気そうな父にホッとする私。髪の毛も眉毛も綺麗にありませんでしたが、もともと白髪気味だったので、あまり目立たず。1週間ほど実家に泊まり、元気そうな父と普段通りに過ごして、なんかまだまだ大丈夫そうだな、なんて思いながらバリに帰りました。

 

それから半年後、父の容態が急変したのです。

母によると、朝メロンを食べたあと、ちょっと横になると言って寝室に行った父は、そのまま眠るように亡くなったそう。肺がんがわかってから1年ちょっと、62歳でした。

 

救急車で市内の病院に搬送され、既に息は引き取っていましたが、姉が駆けつけるのを待ってから、ご臨終としてくれました。なお、勘当されていたはずの姉は、お正月に便乗してしれっと実家に顔を出し、父と和解していたそう。良かった。

娘をはじめ、周りの誰にも自分ががんであることを伝えなかった父の意思を尊重して、近しい親族のみで送り出しました。

 

父の死を経て感じたことは

父が亡くなった時に思ったことは、人が亡くなることほど、最悪な出来事はないということ。

夫がうざい、子どもが言うこと聞かない、将来が不安など、日々生きているとさまざまな嫌なことに直面します。でも、そんなことよりもなによりも最悪の出来事は、最愛の人、家族、友人が亡くなること。

 

もし毎日上手くいってない、イライラする、もう人生ヤダって思ったら、ちょっとだけでも「自分が生きていること自体が最高な出来事」だって思いたいですよね。

って私もときどき自分に言い聞かせています。

 

▶▶【つづき】は2月3日(土)22時配信予定です

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