夫が口にした「廃業しようか」の言葉。地震の被害は、崩れたブロックだけでも1,500万円。妻が出した答えとは
「共感」はしても「同調」はしない。悲観する家族の隣で立ち上がった先に拓けた震災後の道
落ち着きを取り戻すには程遠い状況の私生活。その一方で、大きな被害を受けた家業の椎茸栽培の立て直しも、待ったなしの状況でした。夫・誠治さんが代表をつとめる「農事組合法人のとっこ」には朋子さん夫婦と義母の他、9名の従業員を抱えています。何より、椎茸は生もの。多くの課題が山積していました。
「自宅での生活再開後、改めてハウスの被害の現実を突き付けられた夫は、ひどい落ち込みようでした。『何から手をつけていいかわからない』と途方に暮れていましたね。
我が家の8棟のハウスでは、椎茸の“畑”にあたる菌床ブロックの大半が地面に落ちてしまいました。ブロックが大きな衝撃を受けると椎茸は発育不良になり、出荷できなくなるものも多いんです。
落下分のブロックだけでも実損は1,500万円以上。それに加えて棚の崩壊などもありました。いくつか生き残ったブロックがあるとはいえ、ライフラインの復旧までは高品質な商品の栽培も難しい。もし復旧したとしても、仕入れたブロックでの椎茸の培養に5カ月は必要です。絶望に近い気持ちになるのも、無理はなかったと思います」。
良質な椎茸作りには、「1年中秋を保つ」ようにするための温湿度の管理、ベストな時期での収穫に、収穫後の冷蔵管理など、毎日の繊細な手間が必要なのだそう。そんな状況とは対極にある現実に打ちひしがれる誠治さん。ところが朋子さんが選んだ向き合い方は、『その気持ちを理解しつつも、それに”同調”はしない』というものでした。
「夫や義母は、『廃業しようか』なんてことも口にしていました。でも私にしてみれば、訳が分からない。だって、『絶対大丈夫やろ』って思っていましたから。
夫と義母は、物事をとても丁寧に考える慎重派。品質の高い商品と取引先との信頼を育んでこられたのは、その思慮深さがあったからこそだと思っています。それに対して、私は考えるよりも突き進むタイプ。
被災した現実を前に、夫・義母と私の気持ちには、大きな温度差があったんですよね」。
その温度差が、見事に功を奏します。
「避難所で暮らしていた2週間ほったらかしになってしまった椎茸は、収穫時期を過ぎて大きく開ききった状態。味は良くても見た目もわるく袋にも箱にも入らず、本来は捨てるしかありません。――でも、被災した山盛りのしいたけを廃棄する義母の姿を見たときに、『何とかならんかな』って思ったんです。
それでひらめいたのが『復興しいたけ』のネット販売でした。『こんなお化けみたいな椎茸やけども、欲しい人いますか』と呼びかけてみたら……全国の方から注文が殺到したんです。
慌てて『お母さん、捨てんとこ! 欲しいって言っとる人おるから、売ろう』と義母の手を止めました(笑)。そこからは出荷に追われる日々でしたね」。
気持ちの温度差を、言葉ではなく行動で示した朋子さん。すると、こんなご褒美まで――。
「過去に大きな震災を経験した熊本や東北から購入してくださる方がものすごく多かった。そういう方が購入の際に書き込んでくれる『 いつか必ず再建できるから頑張ってください』というコメントは、私たちにとって本当に心強い、希望の光でしたね。
さらに、しいたけを受け取った方から『おいしかった』というコメントがたくさん届いて……。『お母さん、みんなめっちゃおいしいって喜んでコメントくれとるよ』 と、義母と一緒に喜びました。
売ってよかった。家族全員で悲しい場所に留まらないでいてよかった――そう思いました」。
そのがんばりを後押しするように、被害を心配した取引先からもボランティアの申し出が続々と入ったのだとか。
「まだまだ夫は落ち込んでいましたが、そのお声に甘えさせてもらうことにしたんです。
崩れた棚を直したり、使い物にならなくなった菌床ブロックを捨てたり……震災後の“片づけ”はこれまでの積み重ねをリセットするような作業ですから、メンタルへの負担がとても大きいものでした。それをみなさんが引き受けてくださり、さらに多くの支えがあることに気づき直せたのでしょうね。夫も徐々に元気を取り戻しました」。
未来を見つめられるようになった誠治さんを、朋子さんはさらなる行動で支えます。
「クラウドファンディングで、みなさまからの支援を募ろうと提案したんです。
今回の震災で被害を受けたのは私たちだけではありませんし、もっと甚大な被害を被った方もいますから、もちろん葛藤はありました。でも、生活と事業を再建するのが、私たちが今やるべきことだと思ったんです。家族、従業員、お客さまのため――そんな思いで決断しました」。
「誰かに相談したり頼ったりするのをためらうようなプライドがないんです」と笑う朋子さん。”復興しいたけ“のネット販売もクラウドファンディングも、特別に知識はなかったものの、震災前から培ってきた周囲とのつながりを辿り、その分野に明るい友人に相談して実現したのだといいます。
それぞれの性格と考え方のデコボコを活かしながら未来を切り拓いた朋子さん一家。落ち込む家族の傍に腰を下ろして目線を合わせるのではなく、一人でも立ち上がり新たな可能性を示す――それが、あのとき朋子さんが選んだ「家族のカタチ」でした。
▶つづきの【後編】を読む▶震災後の子どもたちの変化や、震災から1年を迎えた今思う「家族のカタチ」とは? __▶▶▶▶▶
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