44歳、モデル美元が語る「ネグレクト、いじめ、不登校」の壮絶な子ども時代【1万字インタビュー】#2
女優・モデル・ビューティ&ウェルネスコーチの美元(みをん)さん。
考えられないほどの強いバッシングを受けながらも、これまでほぼ弁明をすることはありませんでした。『これからは、自分の経験を伝えて誰かの力になりたい』と言う彼女に、オトナサローネは「シンガポールでの新しい暮らしと、これから訪れる更年期について思うこと」をうかがいました。
離婚騒動の背景を伺った『44歳、モデル美元が語る「あの離婚騒動の背景にあった」事実』に続いて、「いま子育てをしながら思い返す自分自身の幼少期」の話を。
ネグレクト、いじめ、不登校。壮絶な子ども時代
その穏やかで柔らかな口ぶりからはとても想像のつかないほど壮絶な幼少期を過ごした美元さん。
「私が9歳のときに母が亡くなりました。それから私は、父にほぼネグレクトされて育ったんです」
美元さんは週5000円だけ渡されて、あとは自分でなんとかしてと、放任されたと言います。
「5000円って大金のように思えますが、学校に行けない日が多かったので、1日3食を700円でやりくりしなければなりません。9歳の私は料理の仕方もわかりませんでした。今でも覚えていますが、最寄りのスーパーで500円以下で買えるお弁当は海苔弁かオムライスだけ。お弁当を1つ買ったら、あと200円で2食分を捻出しなければならないのですが、牛乳を1本買ったらもう他には何も買えませんでした」
今ほどコンビニやスーパーのお弁当が充実しておらず、しかも価格も高かった時代ですから、買えるものにも限りがありました。仕方なく、お米におしょうゆをかけたり、小麦粉を練ってゆでたりして空腹を満たしていたのだそう。
「16歳になって自分で働き始めて、十分にごはんを食べられるようになるまでは、ほぼ栄養失調の状態でした。朝礼でも倒れてばかりいたので、中学生のころは、先生から朝礼の時間は保健室で過ごすように言われたほどでした」
当時、人は立てば必ず立ちくらみがするものだと思っていたと笑います。
「特につらかったのは風邪をひいたときです。父は病院にも連れていってくれません。先生や友人たちは『汗をいっぱいかいて、栄養のあるものを食べて、お薬を飲んで寝てね』と言葉をかけてくれます。心配して言ってくれているとわかっていても、私にはとてもつらい言葉でした」
まさか高熱に苦しむ9歳の子どもが、自分で着替えやシーツを洗濯して、ごはんを買いに行き、さらに1人で病院に行かねばならない状況にあるとは、周囲の誰もが想像しなかったことでしょう。
「食べ物も薬もないので、一度風邪をひくといつも2週間くらい学校を休んでいました。気力を振り絞って病院に行ったこともあるのですが、『学校を休んでいるのに出かけている』といじめられてからは怖くて行けなくなってしまいました。風邪をひいても翌日には登校してくる友人たちが本当にうらやましかったです」
9歳の子どもが、寒さに耐えながら電話ボックスや屋上で眠る日々
ネグレクトの影響は学校生活にも現れました。まだ9歳の美元さんは洗濯やアイロンがけがうまくできず、給食のテーブルクロスやかっぽう着、体操着もいつもしわくちゃ。「汚い」といじめられました。自分の力だけでは朝も起きられず、遅刻も多い。事情を知らない人に「さぼってる」といじめられてしまう。
「当時9歳だったので、遅刻しないように自分で起きることだけでも大変だったのですが、私の場合は、そもそも安心して眠れる場所がなかったので、いつも寝不足でした」
当時、完全に不登校になっていた兄は情緒不安定で攻撃的にもなっていたので、美元さんは家に帰ることができなくて、電話ボックスや屋上で寒さに耐えながら眠ったことも何度もあったそうです。
当時のお風呂は、子どもが一人で沸かすのは危険でした。実際に火傷をしたこともあったので、水道で頭を洗って、タオルで身体を水拭きして学校に行っていたそうです。
「バイ菌が移るからと隣の席の子が机を離したり、掃除のときに誰も机を移動してくれなかったり。そんないじめを、担任の先生は黙認していました。ある日の授業中、班分けで誰も入れてくれずに独りになった私に、先生がみんなの前で『いじめられる側に問題がある』と言いました。必死に学校に通っていましたが、もう限界でした。学校に行くのが怖くなって。朝、せっかく間に合う時間に家を出ても、通学路を行ったりきたりして、結局は休んでしまうようになりました」
「アイロンと冷たいごはん」。そんな子どもの頃のトラウマが、育児の過程で癒やされていきました
こうした経験があるからこそ、9歳の娘さんに対しても日頃より「多様な選択肢の中からどれをを選んでもいいよ」と伝えているそうです。
「ママは、もっと学校に行きたかった。でも、ママは学校でつらいことがたくさんあったから、本当につらいときは無理しないでいいよ。そんなふうに娘に言えるのは、当時の経験があるからこそだと思います」
先日は娘さんに「アイロンをかけなくてもいいよ」と言われて、驚いたそうです。
「最近の学校のかっぽう着はしわになりにくいのですね(笑)。でも、『ママは、アイロンをかけてもらえなくて悲しかったから、家族のお洋服にアイロンをかけるのはママ自身のこだわりなの。かけてもいい?』と娘に話したら、娘は笑って手伝ってくれたんです。私は、自分が子どものころにしてもらいたくてもかなわなかったことを、娘の子育ての中で昇華させてもらっているのだと、このとき気づかされました」
ある日、美元さんのご友人が娘さんに「ママが、子育てで大切にしていることは何だと思う?」と尋ねたところ、娘さんは「ママって、ごはんがあったかくないとダメなの」と答えたことに美元さんはとても驚いたそう。
「それまで意識していませんでしたが、私、冷たいごはんにトラウマがあったんですね。そんな私を、家族があたたかく見守ってくれていたことに気づきました。いつも独りで冷たいご飯を食べていた私が、娘が生まれてからは独りご飯はんをしたことが一度もないんです」
育児とは、自分の中にいる「子ども時代の自分」に寄り添ってあげることでもある
わが子を育てる過程で、空腹で孤独で悲しかった子ども時代の自分の記憶を、温かくておなかもいっぱいで清潔で幸福な子どもへと書き換えさせてもらっているのですね。
「私自身が母親になったことで、幼い子どもを残して先立つことが母親にとっていかにつらく悔しいかを、以前よりもリアルに想像できるようになりました」
幼いころの美元さんは、もし自分が「つらい、苦しい、助けて」と感じると、天国のお母さまに気持ちが伝わり、自責の念を抱かせてしまうことになると考えていたそうです。なので、つらいことが起きても「これはお母さんからのギフト、学びのために用意してくれた試練」と理由づけをして耐えていました。
「でも、それはそう信じる以外に耐える方法がなかったから。普段からつらいと口にせず、涙もあまり見せないので、『裕子(本名)は強いね』と言われていました。また、自分でも『自分は強い』と思っていました」
強がったり、強いフリをしているうちに、いつしか周囲に弱い部分を見せられなくなったり、甘えることができなくなる例は多々あると思います。
「母からはいつだって『甘えん坊で泣き虫ね』と言われていたんです。誰も助けてくれない日々が続く中で、傷つかないようにするために『自分は強い』と思い込んでいたのですね」
先日、お友達に紹介されて誘導瞑想というセラピーのセッションを受けたところ、心の中にいる内なる自分「インナーチャイルド」は、涙を流しながら「一人にしないで、行かないで」と口にしたそう。
「自分でも驚きました。こうした子ども時代のトラウマや傷って、きっと一生をかけて癒やしていくのでしょうね。44歳になってもまだ、母を亡くした9歳のころの自分は私の中にいるのだと思います。娘のおかげで、『私って無理してたんだな』とやっと認めて、口にできるようになってきました」
つづき▶『美元「初潮・出産、女性ホルモンにまつわる体験のたび思います。私たち、自分の体のことをほとんど知らないんだなって」』(10月16日配信)
撮影/畠山あかり ヘア&メイク/kanagon。
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