「私の人生で初めて、自分に惚れた瞬間でした」ホノルルマラソンに挑戦して完走。そのとき涙があふれて【私の30代、40代そして更年期の過ごし方】#2
いつでも自分らしい生き方を貫いてきた梅宮アンナさん。30代から40代をどう過ごし、何を備えた状態で更年期に突入したのでしょうか。健康やメンタルの維持、生活習慣など「アンナ流ヘルスケア」をお伺いします。
12月1週に雑誌『健康』×オトナサローネ『アフタヌーンエイジプロジェクト』が共催したフェムケアのお祭り、『フェムの市』。1日目に行われたスペシャルトークセッションを6回に分けて丸ごとお届けします。この記事は2本目です!
――食事をコントロールして、さらにはマラソンに出場なさったと聞きました。
食事と有酸素運動で、35㎏太ってから1年半で元の体重に戻しました。
そのあと雑誌の企画でご一緒した編集長がたまたまマラソンをする方だったのですが、その方に
「走りなさい、走れば痩せるから」
と言われたのです。
(もとの体重まで)かなり努力して痩せたのに、まだ痩せないといけないの?と思いましたよ。でも雑誌のモデルさんは全員細いので……。
マラソンなんてやったことがありませんでした。学生のときも帰宅部みたいな感じでしたし。でも考えて、「わかりました、じゃあやります。来年からですよね?」「いや今年だよ」。ホノルルマラソンに出なさいと。ホノルルマラソンって毎年12月ですが、それを言われたのが9月。走ったこともないのに……。
でも編集長が私にこう言ったのです。「人間っていうのは追い込まれないとやらない。来年だと思っていたらやらないよね? だから今年からやろう」
というわけで、嫌々やり始めました。コーチもつけて練習をするのですが、最初は5分と走れませんでした。でも、どうにかこうにか、3ヶ月もないトレーニング期間でホノルルマラソンに参加、なんと5時間55分で完走。
私の人生で初めて、自分に惚れた瞬間でした。
それまでどんな雑誌の表紙をやっても、JJでモデルをやっていても、自分に惚れたことはなかった。でも、マラソンで涙して、苦しくて、それでもゴールを踏んだとき、はじめて「私、やればできるの?」と思いました。
37歳で、自分で自分に対して泣くって初めての経験でした。こういうのがたぶん、私に必要な経験だったのかなって。
それからは、うれしいこと、つらいこと、かなしいこと、全部が今日、私に必要なものなのだと思うようになりました。
その夜、もう次のエントリーを考えて、世界のマラソンを調べました。そうしたら砂漠を走るレースがあって。もう究極のレースですよ。1年半後のそのレースにエントリーしました。それはサハラ砂漠を7日かけて250㎞走る自給自足のマラソンで、他の人に話すと「どうかしちゃったの?」と言われるくらいハードな内容です。そういった経験を積んでいったのです。
――嫌いだったマラソンから得たものが大きかったのですね。他の「嫌いなもの」からも何かが始まっていくのでしょうか?
たとえば納豆。いまは食べられるけど、嫌いでした。臭いから。「身体にいいものだよ」と言われる、そこも嫌いなポイントでした。でも、「嫌いなものを嫌いなまま死んじゃうのってどうなのかな?」と30代、40代になって気づいてしまって。それからは、嫌いと思ったものをなるべく嫌いにならなず、克服する努力をしています。
砂漠のマラソンは、私は残念ながら3日めで熱中症にかかってリタイアしたのですが、それで泣いていたら、テントメイトのイギリス人が「なんで泣くの?」と聞いてきたのです。私はそのとき、なぜ泣いているのか理由が出てこなかったのですが、彼が私に言ってくれたのです。
「ここに来たことが偉い。ゴールを踏むことが偉いわけじゃなくて、ここにきた君の精神がえらい。みんな、やれるものしか手をつけない。でも君は、やれないものに手をつけたよね」
いまもこれを話すと泣きそうになるのですが、それが私の人生の糧となりました。
「できないものにチャレンジする」
という人生に大切なものを、私は砂漠から持って帰ってきたのです。
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撮影/佐山裕子(主婦の友社写真室)
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